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創作から興味ある事柄まで気まぐれに綴ります
今回は1978年に公開された東映映画『赤穂城断絶』について少し語ってみたい。 なお、私が鑑賞したのは海外で発売された「ザ・サニーチバ・コレクション」というブルーレイボックスに収録されていたものである。 これはその名の通り千葉真一氏の出演作品8本を収めたもので、国内ではまだブルーレイ化されていないものも多く含まれていたので購入した(リージョンフリーのディスクなので国内製造のブルーレイデッキでも再生可能)。 『赤穂城断絶』は初鑑賞だったのだが、これまで指摘されてきた部分は確かに自分もそう感じさせられた。 大石内蔵助役の萬屋錦之介をはじめとするベテラン俳優らが従来の忠臣蔵のセオリーを踏襲した演技である一方、千葉真一ら一部の俳優は深作欣二監督らしい現代的な演出(!?)で動いている印象で、そのチグハグさが気になって映画にイマイチ入り込めないのだ。 後から思えば、日本を代表する時代劇役者の一人である萬屋錦之介には時代物とはこういうものだという譲れない思いがあり、深作監督のどうせ自分が撮るならもっと新しい映画にしたいという願望と衝突するのは避けがたい事態だったのだろう。 『柳生一族の陰謀』から続く両者の軋轢は本作で決定的となったようだが、功労者として絶大な発言力を持つ萬屋錦之介氏との軋轢に閉口して一時は深作氏が監督を降りると言ったくらいだから、これでは良い作品になりようがなかったのかも知れない。 ただ、皆が惜しいと思うのは『赤穂城断絶』が決して駄作ではない点で、一部のチグハグさを抜きにしても昔から連綿と続く忠臣蔵物として中々の見応えがある内容に仕上がっている。 また『柳生一族の陰謀』の柳生但馬守宗矩や『赤穂城断絶』の大石内蔵助はかねてより厳格なイメージがあるため、萬屋錦之介の粘っこい演技もそれが故である点にも注意が必要だろう。 彼は適度に力を抜いた好漢を演じるのも非常に得意としており、そちら寄りの役なら深作作品にも案外馴染んだのではないか(五社英雄監督の時代劇『御用金(1969年)』などがその好例だろう)。 いずれにせよ、その圧倒的な存在感が良い面にもそうでない面にも大きく影響したのは明白で、個人的には惜しい作品だなと思うと同時に「深作監督も意外にこんな本格的な時代劇映画が撮れるのか」と感心したというのが『赤穂城断絶』を初めて観た際の正直な印象である。 PR
YouTubeで『疫(えやみ) 』というホラードラマが配信されている。
これは沖縄テレビ放送が製作したテレビドラマで、2023年から毎年作られているアトラクションと連携したユニークな作品だ。 1話15分ほどの短編が5つ連なって一つの物語となるのだが、かつて一世を風靡した『リング』や『呪怨』など既存のホラーを踏襲しつつも、短編であることを生かした小気味良い演出のおかげで観る者を次へ次へと誘う。 ネタバレはしたくないので内容に関する説明は避けるが、ホラードラマとしての怖さや話の面白さについては殆どの視聴者が満足できるクオリティーである。 沖縄が舞台だが土着性は案外低く、方言も非常に軽めだが、これは東京の製作現場に居たプロデューサーが万人が観やすいものを心がけた故なのだろうか。 お化け屋敷形態のアトラクションと連動した企画だけに、その部分がなければどんな物になったろうと思わなくもないが、久し振りに心を動かされた作品なので、無料配信がされているうちに是非とも観ていただきたいホラードラマである。 ※現在この『疫(えやみ) 』シリーズは第三章まで製作されていて、そのいずれもYouTubeで視聴可能となっている。 ストーリーは継続しているので当然第一章から観るべきだが、第二章からストーリーの方向性が変わる部分をユニークと思うか惜しいと思うかは判断に迷う所かも知れない。 「ゴジラの逆襲」は1955年に製作された東宝映画で、ゴジラシリーズの第二作目にあたる。
今回は1979年公開の「金田一耕助の冒険」に触れてみたいと思う。
角川製作の金田一映画として一区切りつける予定だった本作は、低予算かつパロディー満載の悪ノリ感に満ちた怪作である。 これらは敢えてそう作られているのだが、面白がられるより当惑されたり呆れられることの方がずっと多かったようだ。 実際、早送りなしに最初から最後までこの映画を観続けるのは、大抵の人にとって苦痛かも知れない。 パロディーやギャグ演出が笑えないのはともかく、コメディーとはいえミステリーとしての筋立てが初見では掴みにくいので、置いてけぼり感を拭えないまま最後を迎えてしまうのだ。 これは黒板に書かれている意味が分からずに授業が進んでいく感覚に似て、物語の柱となる要素が理解し辛くては観る者の関心を誘うのは難しい。 監督の大林宣彦氏は自主映画の草分け的存在の一人で、それまでの業界セオリーを踏まずにCMディレクターから映画監督になった。 それが良いか悪いかは別にして映画監督の基礎修行を経なかった彼にとって、たゆまぬ実験的挑戦はアイデンティティーを保つ重要な要素だったのだろうか。 さてリアルタイムではなく後になってから観た私はというと、ファンだった金田一耕助物にブームの火付け役たる角川自身が半ば強引に幕引きを行い、しかもそれが悪ふざけともとられかねない内容だった事に失望をおぼえた。 勿論、作中の印象的な音楽にはとても惹きつけられたし、金田一の独白から切ないラストシーンに繋がる一連の流れは脈絡がどうこうを抜きにして好きである。 そして最近になり改めて見直した(初めて早送りせずに全編を観た)ところ、「この際だから気になる部分もいっそ受け入れ、破茶滅茶な世界観を楽しもう」と思えた。 主演の古谷一行氏はテレビドラマで大好評を博した金田一耕助そのままの熱演だし、戸惑いながらの演技だったらしい田中邦衛氏の等々力警部も良かった。 この映画では金田一耕助だけが従来の世界観を守るほぼ唯一の人間なのだが、周りに場違いの物が羅列され過ぎているせいで、逆に異質な存在として浮き出てくる。 統一感や脈絡に欠ける中に整合の取れた場面を入れて際立たせるのも同様である。 ラスト付近で金田一譚を露骨に揶揄するような台詞が重なるのはファンとしていささか歯痒いが、金田一自身のそれは自己肯定の為の自虐だと言い聞かせ、後は美しいエンディング曲に身を任せるとしよう。 今回紹介する作品は、1957年公開のモンスターパニック映画「黒い蠍(原題:The Black Scorpion)である。 |
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