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創作から興味ある事柄まで気まぐれに綴ります
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金田一耕助が登場する映画紹介は早くも5作目となるが、今回の『悪魔が来りて笛を吹く』は、これまでと少し違う印象を残す作品である。

まず目を引くのが、金田一耕助に扮する西田敏行の人懐っこいお馴染みの演技で、先日紹介した『八つ墓村』の渥美清と同じく、俳優の個性が強く出た金田一となっている。

恐らく原作に一番近いのは古谷一行演じる金田一耕助だろうが、この作品の根底に流れる救い難い業の深さを、西田の気さくな三枚目役が和らげているのも事実だ。

冒頭の宝石店を舞台にした大量毒殺事件の件は、『八つ墓村』の村民大量虐殺と同じく実際に起こった惨劇を参考にした物だが、これによりどちらも一種の説得力と戦慄を生むのに成功している。

本作品のメイン舞台は、毒殺事件の容疑者となった椿元子爵の都内某所邸宅なのだけれど、途中で捜査網は兵庫県の神戸や須磨へ飛ぶ。

金田一が犯罪の裏に隠された事実を探る為に一旦その場を離れるのは珍しくないのだが、『悪魔が来りて笛を吹く』では依頼人である椿元子爵の娘・美禰子らが同伴だし、等々力警部が派遣していた刑事とも合流するので、物語の軸は一旦こちらへ完全移行する。

本舞台である東京の邸宅と、中盤の関西での捜査は雰囲気がガラリと変わっているので、原作も映画もこの部分の描写は深く印象に残る。

一粒で二度美味しい雰囲気が楽しめるし、事件の深層に関わる謎が少しずつ明らかになる過程は、何とも言えぬ不気味さと合間って私も個人的に大好きな部分だ。

実はここのあるシーンは原作と大きく違っているのだが、制作者側が犯人の人格を表現する上で冷酷過ぎると判断したのかも知れない。

実際、この映画は過酷な運命を背負った犯人に同情的なスタンスで描かれており、原作とは異なり犯人が◯◯◯(ネタバレ防止のため伏字)なのもその影響だろう。

最終盤、日本映画にありがちな感傷的演出が延々と続く点は少々不満だが、全体として見れば忘れ難い作品には違いないのでそこは我慢すべきか。

ただ、冒頭のシーンと終盤でブローカー2人が闇市を行くシーンは、個人的に残念だった。

『獄門島』でも触れた理由だが、◯◯が分かってしまう様なヒントを途中で見せるのは、原作のファンとしていかがな物かと思うのだ。

終盤前にある程度そういう部分を見せておかねば、観客に唐突感を抱かせる等の都合もあろうが、原作が優れているだけにどうしても勿体無く感じてしまう。

なので、『悪魔が来りて笛を吹く』に興味のある方は、まず原作を先に読む事をお勧めしたい。

逆に言えば、映画版は原作を読んでいても十分観賞に耐え得る作品であり、映像的な演出を優先した物として個別に楽しめる。

本作も他の金田一映画と同様に美しいテーマ曲が付けられているが、『悪魔が来りて笛を吹く』を映像化した中では最も印象に残る旋律であり、椿元子爵の怨念と嘆きを具象化した物に相応しいメロディーと言えよう。


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今回の題材となる映画『八つ墓村』は、これまで紹介してきた金田一耕助シリーズと違い、市川崑氏ではなく野村芳太郎氏が監督した作品である。

過去の事件がその後だいぶ経ってから新たな事件に影響するという物語は後を絶たないが、『八つ墓村』は遥か昔の落ち武者狩りの祟りと、その象徴とも言うべき数十年前に起こった大量殺人事件の二段構えになっているのが特長だ。

後者は太平洋戦争中にある山村で実際に起こった事件をモデルにしており、それを知ってから原作を読んだり映画を観ると、何やら戦慄の走る思いがする。

当初は横溝正史原作の映画化作品として賛否両論の出た本作だが、確かに時代設定が戦後すぐでは無く現代(公開当時)だったり、登場人物の役割やストーリーが大胆に改変されていたりして、金田一物としてはかなり異色の内容となっている。

その際たる物が渥美清演ずる背広を着た金田一耕助で、私立探偵というより物静かなベテラン刑事といった風情なのだが、これはこれで他とは違った魅力だと私は思う。

洋服姿の金田一は他の映像作品にもあるし、クライマックスで彼が事件の真相を語って聞かせるシーンなどは、その落ち着いた口調が別のショッキングな映像と交互に映し出されて不気味な効果を上げている。

こうした静と動の極端な対比は、この映画の随所に見受けられる。

役者の演技や背景描写は出来るだけ自然に抑揚を付けない配慮がなされている一方、ここぞというシーンは強烈な誇張を加えるという大胆な演出が試みられており、そのインパクトが成功したからこそ未だに支持する人が多いのだろう。


 実は原作の八つ墓村は、主人公・田治見辰弥の目線で描かれる怪奇ロマンの色合いが強く、金田一耕助の存在感がいつもより薄い。

この形式で書かれた原作自体は『三つ首塔』など結構あるのだが、ワトスン医師の一人称あってこそホームズ譚と感じるのに似て、やはり読み手に多少違和感を抱かせてしまう様だ。


 入り組んだ人間関係の多い作品の場合、登場人物達をより踏み込んだ分析で読者に解説する探偵の役割は重要である。

まして金田一耕助は狂言回し担当だと言われる程なので、彼の関わる度合いが浅い原作だと、観客の期待する展開の映画に仕上げるのはかなり難しいのではないかと予想する。


 今回紹介した野村芳太郎監督版『八つ墓村』は、金田一耕助物の映画としては一際変わり種だが、監督・スタッフ・キャストの力量によって忘れ難い見事な作品になっているのは間違いない。


『悪魔の手毬唄』は、市川崑監督の金田一耕助シリーズ第二作目となる作品である。


 岡山県の山村・鬼首(おにこべ)村に伝わる古い手毬唄通りに次々と殺人事件が起こるという内容は、マザー・グースの童話をモチーフに殺人が行われるヴァン・ダインの傑作『僧正殺人事件』を彷彿とさせるし、以前紹介した『獄門島』でも同じ手法が扱われていた。


 私自身が趣味で推理小説を書くから分かるのだが、この芝居掛かった展開は意外性を持たせるには効果的だけれど、犯人がわざわざリスクを負ってそれを実行するという理由付けが難しい。

よほど犯人に強いこだわりがあるか、猟奇的思考を持つ犯人という設定にでもしないと、読者が納得する程の説得力を持たせられないのだ。

原作は横溝正史の金田一耕助譚でも代表的な部類に入るし、私も大好きな作品であるが、犯人が手毬唄通りに殺人を続ける理由付けという点ではかなり弱い。

もっとも、原作を読んでいる途中ではその事は余り気にはならず、そう言われてみれば…という感想であるが。

では映画版『悪魔の手毬唄』はどうかと言うと、何とそれについて殆ど理由を語らないのだ(笑)。


 製作陣は映画化する上で当然この事について考えたと思うのだが、諸般の理由により思い切って無視する手段に出たのかも知れない。

逆に金田一耕助の盟友の一人である磯川警部の部分は、映画映えする要素だけに原作より強調されており、警部を演ずる若山富三郎は枯れても折れない執念を上手く出していた。

ちなみに『獄門島』は、◯◯通り(ネタバレ防止の為に伏字)に殺人を行う事自体が重要なポイントになっているので、映画でも印象的な演出で語られている。

実は『悪魔の手毬唄』は犯行の動機についても理由付けが弱く、気持ちは分かるが殺人まで犯す事も無かろうにと思わなくもない。

しかし、前述と同じくそれを問題と見る人は、原作・映画共にごく少ないだろう。

手毬唄通りに行なわれる連続殺人、落ちると抜け出す事の叶わない人食い沼、流行歌手として大成功したグラマーガール(原作通りの引用)の帰郷等々、死んだ筈の人間が幽鬼となって徘徊する鬼首村には、妖しくも惹かれる魅力が一杯なのである。


 私はモンスターハンター4を普段ソロプレイ中心にやっており、都合が付けば友人と二人でオンラインマルチプレイするというスタイルで楽しんでいる。

 ただ、ご存知の通りモンスターハンターシリーズには壁となるクエストが幾つも存在していて、ガード一辺倒で回避もままならないレベルのガンランス使いである自分には、今作も厳しい壁が立ちはだかっている。

 まず個人的にキツかったのが、フルフル亜種二頭を討伐する上位イベントクエストの『電撃・赤き飛竜の双雷』。

 拡散型かつ砲撃レベル4のガンランス『ボルティックワークス』の製作に必要なデンゲキチケットが入手出来るクエストであり、その時点の私にとって不可避とも思えたクエストだ。

 ここのフルフル亜種は常に二頭一緒に居ようとする為、こやし玉で片方を追い払っても程なく合流してしまい、どちらか一頭を倒すまで非常に骨が折れる。
 

 フルフルは行動が独特で最初は動きを読み辛く、特に亜種は当たると一発で麻痺する攻撃を複数持つので始末が悪い。

 猫飯でこやし玉名人を付けて即片方を退けられる様にし、砲術スキルを一段階落としてでもガード性能+1とガード強化のスキルを発動させて何とか乗り切ったが、『ボルティックワークス』を作るにはこのクエストを4回クリアせねばならず、これをソロでやった時は本当にしんどかった。

 そしてその次が、表題の集会所6『高難度:黒き竜たちの挟撃』である。

 ランスとガンランスにとって鉄壁珠2(ガード性能が3上がる)は必須と言って良い装飾品だが、MH4でこれを作るには上記クエストをクリアして、竜人商人の素材交換にアグナコトルのそれが並ぶようにしなくてはいけない。
(バサルモス亜種の素材である桜岩竜の翼でも作れるが、同モンスターがキルドクエスト化してくれなければ中々入手し辛いので、これはこれで難易度が高い)

 ところがこのクエスト、闘技場でジンオウガ亜種とティガレックス亜種を二頭同時に相手するという内容で、片方を相手にしていると速攻でもう片方に割り込まれる非常に厄介な物なのだ。

 発見されるのを防ぐ為にオトモアイルーを連れず、けむり玉を調合分持って行って片方を倒してから残りを相手するというのがセオリーなのだが、私の場合は何度やっても途中で両方に発見されてしまいやり直しの連続であった。

(開幕からいきなり二頭に発見される事もあったが、猛攻をガードで防いでいる内にけむり玉の効果が切れ、納刀が間に合わず即もう一匹に発見されるというパターンが多かった)

 友人と二人で挑んだ事もあったが、ジンオウガ亜種とティガレックス亜種が常に入り乱れる猛攻に翻弄され上手く行かなかった。

(四人居れば二手に分かれるなりしてゴリ押し可能かも知れないが)

 結果的に私は幾つかのサイトを参考にこのクエストをソロでクリアしたのだが、何番煎じになるのかしらと思いつつ一応その方法を紹介しておこう。

 それは『なるだけ同士討ちを誘う様に逃げ回りつつ、隙を見せた時やスタミナ切れを起こした方に攻撃を加えてまた逃げる』という作戦だ(笑)。

 両モンスターの同時攻撃は実に苛烈な物だが、その体力は通常時より少なめに設定されているらしく、上記の方法を30分ばかり繰り返しているとどちらもそれなりに弱って来る。

 特にティガレックス亜種は行動が激しい代わりに疲れ易いと見えて、スタミナ切れでその場に立ち尽くす場面が早く回数も多い。

 私の場合はそこへ竜撃砲や溜め砲撃(大タル爆弾Gでも可)を食らわせ、次第に体力を奪って行った。

 疲れて来る前でも隙を狙って突くなり砲撃するなりしていたのだが、確かにこうしておかないと体力を削り切れない可能性があり、機会があればチクチクと攻撃しておいた方が良い。

 また、オトモアイルーが居ると敵の標的が分散して危険性が下がるし、回復などもしてくれるので自分は連れて行った。

(実際、私がジンオウガ亜種から逃げ回っている時、ティガレックス亜種にトドメを刺してくれたのはオトモであった)

 危ないと思ったり回復・研ぎ等を行いたい時は迷わずモドリ玉を使い、キャンプのベッドで自分とオトモの体力や状態異常を回復して、アイテム節約にも努めると良いだろう。


 加えて、強走薬グレートがあれば序盤の猛攻をかわすのに便利なので持って行きたい。

 強走薬グレートは上位イベントクエスト『銀の匙・卵の試食パーティ』のサブターゲットクリアでアイテムBOXに並ぶし、支給品が来るまで待てば強走薬も入手可能だ。


 数十分走り回るのは楽でないかも知れないが、私の場合ソロでこのクエストをクリアするのは、これが一番近道ではないかと感じた。

 前述のクエストと違って一度クリアすればOKだし、もし困っている人が居るなら試してみてはいかがだろうか。


 日常の忙しさから中々ブログ記事を書けずにいたのだが、前回の更新から二カ月以上も空いていた事に自分でも驚いてしまった。

 気がつけば既に2014年になっており、さて新年一発目に何を書いた物かと迷ってしまう。


 まずは発売日に購入したWiiUソフトの『スーパーマリオ・3Dワールド』のレビューを書こうかと思っていたものの、ゲーム関連ではモンスターハンター4に掛かり切りで未だ手つかずの状態であり、これは少し先の事となりそうだ。

 よってソフトレビューは少し先延ばしにし、久し振りに映画の事などを書いてみようかと思う。

 以前、市川崑監督の『獄門島』について少し触れさせて貰ったが、今回は同監督が撮った最初の金田一耕助物である『犬神家の一族』を回想してみたい。

 当ブログは映画にしろゲームソフトにしろネタバレはしない方針なので、どうしても表面的かつ抽象的な表現になり申し訳ないのだが、そこは一つご容赦願いたい。

 この『犬神家の一族』は『獄門島』と同じく太平洋戦争(第二次世界大戦)が大きく影を落としていて、家長制度や本家と分家の微妙な関係性など、金田一耕助物の長編にはお馴染みの要素をたっぷりと仕込んでいる作品だ。

 東北の地からのし上がった権威的な有力者が、臨終に際して特異な内容の遺言状を残した事が発端となり、血生臭い殺人事件が次々と起こっていく。


 登場人物の多くは利己的な人物ばかりなのだが、それが鼻に付き過ぎない様にユーモアも持たせている為、場面によってはエゴむき出しなのが滑稽にさえ感じられる。

 ユーモラスなのは捜査にあたる側も同様で、加藤武が演じる警察署長に至ってはちとそれが過ぎるほどである。

 その例外があの不気味なマスクを被った犬神佐清(いぬがみ・すけきよ)親子とヒロイン野々宮珠世であるが、『犬神家の一族』が複雑かつ数多いキャストなのに分かり易く観られるのは、まるで舞台劇の如く役割と表現がハッキリしているからだろう。

 ともあれ同シリーズの基本形はここで既に完成しており、高品質な絵作りと演出は何度観ても引き込まれてしまう。

 原作の持つ魅力的な要素、映像化すると効果的であろう部分を的確に掴み、それを鮮やかに表現する手腕は感服するしかない。


 抗い難い人間の営みや業をしっかり盛り込んでいるにもかかわらず、重すぎたりウェットになり過ぎたりしない所など、エンターティナーとしての力量を思い知らされる。

 実に様々なジャンルの映画を撮って来た監督と製作チームだからこその作品であり、ちょうどキャリア的に成熟期なのも幸いだった。

 怪奇的で悲劇的で抒情的で喜劇的で芸術的で娯楽的な映画、それが『犬神家の一族』である。




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