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創作から興味ある事柄まで気まぐれに綴ります
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ウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』は、私にとって忘れられない映画の一つである。

 
先日、同作品のブルーレイを購入して久し振りに観たのだが、やはりその思いが揺らぐ事はなかった。

 
古い映画のブルーレイ版がしばしばそうである様に、高解像化で映像の雰囲気が変化しないか心配していたものの、その面は殆ど違和感が無かったと言って良いだろう。

 
確かに、かつて粗い解像度で観た時のざらつき感が、怖さやリアリティーを増幅していたとは思うが、ブルーレイ版も雰囲気を損なわない出来に仕上がっている。

 
『エクソシスト』は、この種の物としては脈絡が通っている方だと思うが、悪魔が起こす事象については理由付けや整合性を欠いており、その歪みが他のシーンの中に巧みに混ぜ込まれている。

 
冒頭のイラクから始まるシークエンスは、当時まだ馴染みの薄かった異郷の地を舞台に、マックス・フォン・シドー演じるランカスター・メリン神父と悪しき者との対決を静かに予感させる名場面で、私も初めて観た時は形容し難い戦慄と興奮を覚えたものだった。

 
その後はマクニール母娘とデミアン・カラス神父を軸に物語が進むが、女優として名声と富を得る前者は娘リーガンの怪異たる変貌に翻弄され、後者は神に仕える者の理想と現実のギャップや身内の不幸に思い悩まされる。

 
こういった登場人物や物語の描写は無駄なく丁寧に行われていて、俳優陣も実に素晴らしい演技をしていると思う。

 
ドキュメンタリータッチを意識した演出になっているのも功を奏した。

 
勿論、特殊効果の技術と表現は今更言うまでもなく第一級品で、何度観たか分からぬ身でも今だに恐ろしさを感じるほどだ。

 
かつて『七人の侍』は、人間ドラマを描く手綱を緩めずにアクション映画を撮るという志のもとに作られたというが、『エクソシスト』も人間ドラマを含め全てをおざなりにすること無く描き切ったと言うべきか。

 それ
故に、この映画を単にホラー映画とカテゴライズする意見には、多くの人々が抵抗を感じてしまうのだろう。

 
もし未見なら、一度は観て損の無い傑作である。

 

※これは全くの余談だが、なぜ○○○(ネタバレ防止のため伏せ字)が本人以外に知らない事実を混ぜる事が出来たのか、以前から漠然と不思議に感じていた。

存在が存在だけに、かの者は黄泉の住人とも自由に交流可能なのか?

しかし、今思えばその場に居る人間の心を読み取る事が出来さえすれば良いのだと気付いた。

これなら人格は一つだと断言したメリン神父の言葉とも辻褄が合う。

と言っても、実際の製作者の意図がどうなのか知る由も無いのだが(笑)。

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 先日、久し振りにWiiのソフトをWiiUでプレイしてみようと思ったのを機会に、遅ればせながらWiiからWiiUへデータを移してみた。

 専用ソフトをダウンロードし、オンライン経由でデータを移動させるのだが、移行が完了するとWii側のバーチャル・コンソールやセーブデータは無くなってしまう様だ(元へ戻す事も出来る)。

 WiiUでWiiのソフトをプレイする場合、Wiiモードに切り替える必要があるのだが、アップデートによりTVだけでなくゲームパッドへも画像を表示可能になったのは有難い。

 ゲームパッド単体のプレイには対応しておらず、操作自体はWiiリモコンやクラシックコントローラーでやる事になるが、TVが無くとも据え置きゲームが出来るのはやはり魅力だ。

 またWiiのソフトはいわゆるSD画質なので、ハイビジョンTVでこれをプレイすると流石に粗さが目立つのだが、ゲームパッドの解像度はHDでは無いために逆に綺麗に見えるという効果もある※。


 これは
Youtube等で低い解像度の動画を観る時にも得られる恩恵で、6.2インチの画面サイズも丁度良いのかも知れない。

 今回はGC用に発売した物をWiiへ移植した『biohazard』『biohazard 0』『biohazard 4』の3本を、ゲームパッドの画面を観ながらヌンチャクスタイル(Wiiリモコンにヌンチャクを接続した形態)で遊んでみた。

 前者2本はTV・ゲームパッド共にゲーム画面が縮小表示されるので少々窮屈に感じるが、映像自体は綺麗なだけに慣れるとそれほど気にならなくなった。

 ゲームパッドにはセンサーバー機能も内蔵されているので、biohazard 4の売りであるリモコンを使ったポインティングで標的を狙う事も出来たし、少し離れなければならない点を除けば次第点だろう。

 こればっかりは実際に使ってみないと分からないのだが、TV無しで据え置き型ゲームをプレイしたり動画を観られる便利さは相当な物である。

 

※ゲームパッドの解像度はHDに達していないものの、表示元の解像度がHDなら十分綺麗に見える(720pだとソフト側のフォントによっては読み辛い場合もあるが)。

ゲームパッドの解像度にユーザーから不満が出ないのはこの為である。

先日、ニンテンドー3DS向けダウンロード専用ソフトの『ニコニコ』を落としてみたのだが、配信開始すぐにやらなかったのには訳があった。

 
というのも、以前ipodtouchでドワンゴが配信するニコニコ動画視聴アプリを使ってみた所、多くの動画がプレミアム会員でないと観られない上に、処理が重たいせいか強制終了する事も少なくなかった為である。

 
それに3DS向けのYoutube視聴ソフトが酷い出来だったので、決して高性能とは言い難い3DSでオンラインの動画視聴など敷居が高いのではないかと訝っていたのだ。

 
しかし実際に使ってみると、3DS向け『ニコニコ』はハードに特化した非常にシンプルな作りになっており、予想に反して処理が軽くサクサクと動作する。

 
心配された解像度の低さの影響もそれほど感じられず、ボケボケだったYoutubeソフトとは違って十分視聴に堪えるレベルだ。

 また、コメントの文字が裸眼3Dに対応して手前に浮き出るのだが、その際に動画が奥へ行くので動画まで擬似3Dになったような錯覚も起こる。


 そして何より嬉しいのが、WiiU版『ニコニコ』と同じく、一般会員でもシークバーを動かし放題という点だろう。

 
一方、現時点では連続再生や生放送には未対応で、投稿動画の単発再生がメインとなる。

 
まずまず視聴に堪える画質で処理が軽く、プレミアム会員でなくとも自由にシークバーを動かせる3DS版『ニコニコ』は、手軽にニコニコ動画を観るにはかなり使えるソフトと言えるのではないか。

 
しかし、である。

 
2014年2月末現在、サーバーへのアクセスが集中し、一部を除いた大半の動画が視聴出来ないという状況になっており、正直言って今のままではとても使えるレベルでは無い。

 
この状況が早く改善される事を望むばかりである。

※この他にも、スレマという一風変わった動画宣伝システムが設けられているが、今回は割愛させて貰った。

金田一耕助が登場する映画紹介は早くも5作目となるが、今回の『悪魔が来りて笛を吹く』は、これまでと少し違う印象を残す作品である。

まず目を引くのが、金田一耕助に扮する西田敏行の人懐っこいお馴染みの演技で、先日紹介した『八つ墓村』の渥美清と同じく、俳優の個性が強く出た金田一となっている。

恐らく原作に一番近いのは古谷一行演じる金田一耕助だろうが、この作品の根底に流れる救い難い業の深さを、西田の気さくな三枚目役が和らげているのも事実だ。

冒頭の宝石店を舞台にした大量毒殺事件の件は、『八つ墓村』の村民大量虐殺と同じく実際に起こった惨劇を参考にした物だが、これによりどちらも一種の説得力と戦慄を生むのに成功している。

本作品のメイン舞台は、毒殺事件の容疑者となった椿元子爵の都内某所邸宅なのだけれど、途中で捜査網は兵庫県の神戸や須磨へ飛ぶ。

金田一が犯罪の裏に隠された事実を探る為に一旦その場を離れるのは珍しくないのだが、『悪魔が来りて笛を吹く』では依頼人である椿元子爵の娘・美禰子らが同伴だし、等々力警部が派遣していた刑事とも合流するので、物語の軸は一旦こちらへ完全移行する。

本舞台である東京の邸宅と、中盤の関西での捜査は雰囲気がガラリと変わっているので、原作も映画もこの部分の描写は深く印象に残る。

一粒で二度美味しい雰囲気が楽しめるし、事件の深層に関わる謎が少しずつ明らかになる過程は、何とも言えぬ不気味さと合間って私も個人的に大好きな部分だ。

実はここのあるシーンは原作と大きく違っているのだが、制作者側が犯人の人格を表現する上で冷酷過ぎると判断したのかも知れない。

実際、この映画は過酷な運命を背負った犯人に同情的なスタンスで描かれており、原作とは異なり犯人が◯◯◯(ネタバレ防止のため伏字)なのもその影響だろう。

最終盤、日本映画にありがちな感傷的演出が延々と続く点は少々不満だが、全体として見れば忘れ難い作品には違いないのでそこは我慢すべきか。

ただ、冒頭のシーンと終盤でブローカー2人が闇市を行くシーンは、個人的に残念だった。

『獄門島』でも触れた理由だが、◯◯が分かってしまう様なヒントを途中で見せるのは、原作のファンとしていかがな物かと思うのだ。

終盤前にある程度そういう部分を見せておかねば、観客に唐突感を抱かせる等の都合もあろうが、原作が優れているだけにどうしても勿体無く感じてしまう。

なので、『悪魔が来りて笛を吹く』に興味のある方は、まず原作を先に読む事をお勧めしたい。

逆に言えば、映画版は原作を読んでいても十分観賞に耐え得る作品であり、映像的な演出を優先した物として個別に楽しめる。

本作も他の金田一映画と同様に美しいテーマ曲が付けられているが、『悪魔が来りて笛を吹く』を映像化した中では最も印象に残る旋律であり、椿元子爵の怨念と嘆きを具象化した物に相応しいメロディーと言えよう。


今回の題材となる映画『八つ墓村』は、これまで紹介してきた金田一耕助シリーズと違い、市川崑氏ではなく野村芳太郎氏が監督した作品である。

過去の事件がその後だいぶ経ってから新たな事件に影響するという物語は後を絶たないが、『八つ墓村』は遥か昔の落ち武者狩りの祟りと、その象徴とも言うべき数十年前に起こった大量殺人事件の二段構えになっているのが特長だ。

後者は太平洋戦争中にある山村で実際に起こった事件をモデルにしており、それを知ってから原作を読んだり映画を観ると、何やら戦慄の走る思いがする。

当初は横溝正史原作の映画化作品として賛否両論の出た本作だが、確かに時代設定が戦後すぐでは無く現代(公開当時)だったり、登場人物の役割やストーリーが大胆に改変されていたりして、金田一物としてはかなり異色の内容となっている。

その際たる物が渥美清演ずる背広を着た金田一耕助で、私立探偵というより物静かなベテラン刑事といった風情なのだが、これはこれで他とは違った魅力だと私は思う。

洋服姿の金田一は他の映像作品にもあるし、クライマックスで彼が事件の真相を語って聞かせるシーンなどは、その落ち着いた口調が別のショッキングな映像と交互に映し出されて不気味な効果を上げている。

こうした静と動の極端な対比は、この映画の随所に見受けられる。

役者の演技や背景描写は出来るだけ自然に抑揚を付けない配慮がなされている一方、ここぞというシーンは強烈な誇張を加えるという大胆な演出が試みられており、そのインパクトが成功したからこそ未だに支持する人が多いのだろう。


 実は原作の八つ墓村は、主人公・田治見辰弥の目線で描かれる怪奇ロマンの色合いが強く、金田一耕助の存在感がいつもより薄い。

この形式で書かれた原作自体は『三つ首塔』など結構あるのだが、ワトスン医師の一人称あってこそホームズ譚と感じるのに似て、やはり読み手に多少違和感を抱かせてしまう様だ。


 入り組んだ人間関係の多い作品の場合、登場人物達をより踏み込んだ分析で読者に解説する探偵の役割は重要である。

まして金田一耕助は狂言回し担当だと言われる程なので、彼の関わる度合いが浅い原作だと、観客の期待する展開の映画に仕上げるのはかなり難しいのではないかと予想する。


 今回紹介した野村芳太郎監督版『八つ墓村』は、金田一耕助物の映画としては一際変わり種だが、監督・スタッフ・キャストの力量によって忘れ難い見事な作品になっているのは間違いない。




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