創作から興味ある事柄まで気まぐれに綴ります
『悪魔の手毬唄』は、市川崑監督の金田一耕助シリーズ第二作目となる作品である。
よほど犯人に強いこだわりがあるか、猟奇的思考を持つ犯人という設定にでもしないと、読者が納得する程の説得力を持たせられないのだ。 原作は横溝正史の金田一耕助譚でも代表的な部類に入るし、私も大好きな作品であるが、犯人が手毬唄通りに殺人を続ける理由付けという点ではかなり弱い。 もっとも、原作を読んでいる途中ではその事は余り気にはならず、そう言われてみれば…という感想であるが。 では映画版『悪魔の手毬唄』はどうかと言うと、何とそれについて殆ど理由を語らないのだ(笑)。
逆に金田一耕助の盟友の一人である磯川警部の部分は、映画映えする要素だけに原作より強調されており、警部を演ずる若山富三郎は枯れても折れない執念を上手く出していた。 ちなみに『獄門島』は、◯◯通り(ネタバレ防止の為に伏字)に殺人を行う事自体が重要なポイントになっているので、映画でも印象的な演出で語られている。 実は『悪魔の手毬唄』は犯行の動機についても理由付けが弱く、気持ちは分かるが殺人まで犯す事も無かろうにと思わなくもない。 しかし、前述と同じくそれを問題と見る人は、原作・映画共にごく少ないだろう。 手毬唄通りに行なわれる連続殺人、落ちると抜け出す事の叶わない人食い沼、流行歌手として大成功したグラマーガール(原作通りの引用)の帰郷等々、死んだ筈の人間が幽鬼となって徘徊する鬼首村には、妖しくも惹かれる魅力が一杯なのである。 PR |
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