映画館へ行くつもりがなかなか都合がつかず、遅ればせながらようやく「ゴジラ−1.0」を観る事が出来たので、簡単に感想を書いてみたいと思う。
例によってネタバレは極力避けるつもりの為、その点はご了承いただきたい。
この物語は第二次世界大戦末期から戦後まもなくまでの数年間に起こった出来事が描かれており、主人公の特攻隊員・敷島は強制された死を受け入れ切れなかった苦悩と変異前のゴジラに植え付けられた恐怖を二重に抱え込む事になる。
操縦技術も射撃技量も人並み以上に優れた彼だが、戦争という殺し殺される状況にはおよそ向かない性格であり、現代の観客にとって共感し易い価値観を持つキャラクター設定だ。
戦争どころか争うという行為自体が似つかわしくない印象は敷島を演じる神木隆之介氏の演技によるところが大きく、彼の繊細さが「トラウマを抱えた主人公が紆余曲折の末にそれを克服する」言わばありがちなストーリーを既視感から遠ざけてくれたのではないだろうか。
浜辺美波氏が演じる典子と彼女が偶然託された赤ん坊の明子、敷島は自分と同じく近しい者を失ったこの2人と擬似家族を形成する事になるが、生きる為に機雷除去の仕事に就く所から物語はまた動き出す。
一方、脇を固める人物たちは非常に分かり易い性格づけがされていて、中でも向かいに住む澄子や仕事仲間の連中とは親しく交流を重ねる姿が描かれる。
みな演技巧者なので悪く言えばベタな演出でもなるだけ自然に演じていたし、特に他者を捨ておけない「情(じょう)」の描写は怪獣映画のそれとは異なっていた。
山崎貴監督によると前作「シンゴジラ」に対抗する為に敢えて真逆の路線にしたと言うし、恐らく予算の都合もあったとは思うが、本作はゴジラ映画或いは怪獣映画と呼ぶには人物描写のパートが多い(というか戦闘パートが少なく感じられる)。
そこを物足りなく感じる従来ファンの心理は良く分かるが、ゴジラ作品としてはそこが新しいとも言えるし、何よりちゃんと映画として成立しているので文句は言いにくいのだ(笑)。
また肝心の戦闘シーンはどれも目新しく見応えがあり、特にゴジラが吐く熱線は核爆発級の破壊力で恐ろしかった。
クライマックスで熱線を吐いた後のゴジラのアップは、まさに名演技ものであろう。
抑えめながら効果的な音楽も非常に良かった。
臆面なく名作へのオマージュを連発するやら演出が説明過多だとの評を受けがちな山崎監督だが、個人的には今回の「ゴジラ−1」はキャリアハイとも呼べる会心の作ではないか。
海外で評価されたのも頷ける仕上がりで、観客の琴線に触れるシーンが万国共通なのは映画として理想的と言えよう。
今までのゴジラ映画では得られなかった感慨を与えてくれる作品として、今後も幾度となく見返す事になりそうである。
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