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創作から興味ある事柄まで気まぐれに綴ります
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先日、『スターウォーズフォースの覚醒』のブルーレイを購入し、ジョージ・ルーカスの手を離れたエピソード7を初めて鑑賞した。

一度目は英語音声&日本語字幕、二度目は日本語吹き替えで観たのだが、原作者の思想的なニュアンスは無くなっているものの、新シリーズとして十分の面白さを持った作品に仕上がっていた。

既に多くの人が語っている様に、主人公の一人で可憐さと逞しさを合わせ持つ女性レイは大変魅力的だし、往年のスターウォーズファンがニヤリとしたり感慨に耽ったり出来るシーンも満載である。

シリーズの定石を保ちつつ新しい部分もしっかり盛り込んであるのだが、それを理想の形で綺麗にまとめている
JJ・エイブラムス監督の熱意と手腕には本当に感服した。

スタートレックシリーズを手掛けた経験も大きいのだろうが、それにしても大したものである。

皆が指摘するカイロ・レンの未熟さも気にはなるが、ジェダイでありながらダークサイドの誘惑に悩む者が多かったこれまでと違い、ダークサイドに身を置きながら自分のライトサイドの部分に悩まされる悪役という描写を設けたのはユニークな試みだったと思う。

寧ろ私が一番違和感を覚えてしまったのは、ラストシーンでレイとあの人が出会うシーンで、ロケ地の美しさと人物の対比が噛み合っていなかったのが気になった。

それまで慎重にこなしていただけに、カメラワークも演出もちぐはぐに感じたのだが、あの特異な景観をなるべく手を加えずに生かそうとして裏目に出たのだろうか。

一方、フォースの覚醒にイマイチ乗り切れない往年のファンが居る事は十分理解出来る。

ILMCGを中心とした仕事は相変わらず見事だが、今やそれが感動を呼ぶ物では無くなっており、事実上スターウォーズが映像面での驚きを失ったのは痛手であろう。

スターウォーズ自体がクラシックな一面をお約束としているだけに、ファンの多いこのシリーズを新鮮かつ満足のいく作品に保つのは、さぞ骨の折れる作業ではないだろうか。

ちなみに私も一回目に観た時はそこまでピンと来なかったのだが、二回目で実に丁寧に考えて作ってあるのに気付き、更にハン・ソロやレイアの日本語吹き替えが以前と同じ人達であるのに感慨深い物をおぼえて、やっとフォースの覚醒が自分の中でスターウォーズサーガに加わった気がした次第である。



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『トレマーズ5・ブラッドライン』はトレマーズシリーズの最新作である。

私はこのシリーズが好きで全て観ているのだが、今作もトレマーズらしくコメディーを散りばめたモンスター映画に仕上がっていて安心した(自分はブルーレイディスクを購入)。

トレマーズに出て来る敵はグラボイズと呼ばれる地中を高速移動するモグラに似た化け物で、さながら地上版ジョーズの様な存在だ。

グラボイズは目が退化している代わりに音に対して非常に敏感な性質を持ち、次の2で登場する小型の二足歩行生物シュリーカーは熱センサーを使って獲物を追って来る。

更に3ではアスブラスターに進化し、体内のガスに火を付けて空を滑空しながら襲って来るのだから始末が悪い。

最新作はこれまでと違ってアフリカに舞台を移し、独自の進化を果たした凶悪なグラボイズ達が相手だ。

この新たなグラボイズは非常に残忍な性格の持ち主で、ユニークな登場人物たちを空気も読まずに容赦なく始末していく。
(1・2・3と違い、怪物について詳細な分析を行う描写が無いのは少し物足りなかった)

対するはシリーズの代名詞とも言えるガンマニア兼サバイバリストのバート・ガンマーその人であり、今作でもファン納得の行動力を発揮してくれる。

歳を重ねても信念を曲げない不屈のバートを演じるマイケル・グロス氏は2016年現在で68歳のはずだが、一作目から変わらぬその役作りには脱帽する他ない。

トレマーズ5を観た人なら分かってくれると思うが、バートファンにとってこれはちょっと感動ものだ。

時代の移り変わりもあり旧作と比べて若干雰囲気の異なる印象の本作も、バートのおかげでちゃんとトレマーズなんだと感じさせてくれる。

かつて3・4のメイキング映像では製作陣が低予算でやり繰りする苦労を語っているが、今作は大作とは呼べないまでもアフリカロケを敢行したり、それなりの見栄えがするCGを使用したりと頑張っている。

バートを筆頭に夢見る中年からセクシーな未亡人まで個性的でアクの強いキャラクターらが話を紡いでゆくのだが、確かに近年流行りのスタイリッシュなシーンは殆どなく、人によっては一昔前の様な泥臭い演出が随所に目立つ古臭さを感じるかも知れない。

また、エイリアン・プレデター・ジュラシックパークを露骨にオマージュしたシーンも少々鼻に付く。

ただ、これは敢えての演出だろうから、そこは割り切って楽しんだ方が良い。

全体的なクオリティーから言うと中の上くらいの映画かも知れないが、トレマーズシリーズのファン、そして我らがバートを愛する人なら観て損はない作品である。


今回は、私としては珍しく最近の映画の感想を短く書いてみたい。

表題の『マッドマックス
怒りのデス・ロード』は、言うまでもなくマッドマックスシリーズの最新作である。

この映画が評判になった理由は幾つかあり、一つは
70代の監督とは思えぬほどのエネルギーに満ちたノンストップムービーに仕上がっているからだろう。

核戦争により荒廃し切った世界を舞台に、生存と自由を掛けて主人公達が支配者に抗う姿は、台詞を極力少なくし動きで見せる演出と合間って理屈抜きに引き付けられてしまう。

今度のマッドマックスは凄いとの噂に期待し過ぎたせいで、個人的に手放しで絶賛するという程ではなかったが、いきなり映画館でこれを観た人達には強烈な印象を与えたのは十分納得できる。

今作と同じテーマで作られた傑作『マッドマックス
2』はメル・ギブソンの存在感が光ったが、怒りのデス・ロードの実質的な主人公はシャーリーズ・セロン演じるフュリオサで、トム・ハーディーのマックスはそれを支える相棒といった印象だ。

弱肉強食(強者にも容赦ない環境だが)の世界観は昔と同じものの、細かい状況説明はあえてしておらず、年齢制限に響くようなシーンも直接描かずに写雰囲気を匂わす程度にとどめている。

細かい説明を殆どせずに物語をどんどん進められるのは、マッドマックスのネームバリューがあるからこそか。

敵役たるイモータン・ジョーが単純な破壊的支配者ではないのも特徴的だ。

弱者の人間性を蹂躙する独裁者である一方、家系を存続させようと老体に鞭打ちながら陣頭に立つ執念は憐れですらある。

また、この映画の女性達は極めて隷属的な立場に置かれているが、反旗を翻したフュリオサとイモータン・ジョーの妻たちを行動的に描く事で、視聴者に前時代的な映画という印象を与えない様にしている。
(それでも不愉快な気分になる女性は相当数いると思うし、この映画を評価する人間の殆どは男性であろう)

大作なので時代に合わせた表現になるのは仕方ないが、「マッドマックスはこうなんだ」というジョージ・ミラー監督の徹底したこだわりが滲み出ており、その臭いを感じ取った往年の映画ファンとって堪らない作品ではないだろうか。

※日本語吹き替えの一部キャストに不満が出たようだが、実際に聞いてみるとそれほど気にならない。
とはいえ、初めて観る時は字幕がお勧めであるが。


 当ブログでは金田一耕助シリーズの映画を幾つか紹介したが、今回は古谷一行が金田一に扮するテレビシリーズの『犬神家の一族』について書いてみようと思う。

 これは同シリーズの初陣を飾る作品であり、犬神佐清と野々宮珠世のキャストに多少違和感を覚えるものの、テレビドラマらしからぬ見応えのある内容になっている。

 原作の金田一耕助に最も近いと評される古谷一行の役作りは、髪型が少々短めな以外この一作目から既に固まっていて、風采は上がらないが味のある人懐っこい着物姿の探偵を上手く表現している。


 ユーモラスで人好きのする点では、映画版『悪魔が来りて笛を吹く』で金田一を演じた西田敏行と似ていなくもない。

 古谷氏以外も好演の光る本作だが、中でも特筆すべきなのが松子夫人を演じた京マチコで、犬神佐兵衛の写真を前に紙片を焼くシーンの凄味は格調高いとさえ感じた。

 彼女の瞳は非常に特徴的なので、静かな演技でも目を見開いたような効果が出せるのだ。

 映画で同じ役を熱演した高峰美枝子や富司純子も大変良かったが、京マチコのそれはテレビドラマの枠を超えるものだった。


 また市川崑監督の『犬神家の一族』のそれと違って、佐清のマスクが能面をモチーフにしたデザインになっており、顔にピッタリと張り付く感じでは無く石膏を思わせる強張った印象を与える素材になっている。


 これはテレビ版独自の演出だが、他にもある人物が本物の能面を被る事からして、着用者の性質を表す象徴として用いている様だ。

 またオリジナル要素としては、犬神佐兵衛の謎めいた出自に触れている点にも注目したい。


 犬神の血に呪わしい過去があるという少々オカルトめいた設定だが、特徴的なナレーションと惨たらしい絵巻で短く綴ったこのシーンは、中々に効果的だったのではないかと思う。

 最も大きな変更は結末の部分で、原作では半ば人情味を帯びた形で大団円風に幕を閉じる『犬神家の一族』も、テレビシリーズで描かれた終幕は珠世により現代的な行動を取らせる内容であった。

 映画版に比べると、このテレビシリーズの『犬神家の一族』を観た人は少ないだろうが、映画にも劣らぬ豪華な出演人を見るにつけ、金田一耕助譚の人気が当時いかに高かったかを窺い知れる。

 私は古谷一行演じる金田一耕助テレビシリーズのDVDを概ね所有しているので、機会があれば今後も紹介して行きたい。


ウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』は、私にとって忘れられない映画の一つである。

 
先日、同作品のブルーレイを購入して久し振りに観たのだが、やはりその思いが揺らぐ事はなかった。

 
古い映画のブルーレイ版がしばしばそうである様に、高解像化で映像の雰囲気が変化しないか心配していたものの、その面は殆ど違和感が無かったと言って良いだろう。

 
確かに、かつて粗い解像度で観た時のざらつき感が、怖さやリアリティーを増幅していたとは思うが、ブルーレイ版も雰囲気を損なわない出来に仕上がっている。

 
『エクソシスト』は、この種の物としては脈絡が通っている方だと思うが、悪魔が起こす事象については理由付けや整合性を欠いており、その歪みが他のシーンの中に巧みに混ぜ込まれている。

 
冒頭のイラクから始まるシークエンスは、当時まだ馴染みの薄かった異郷の地を舞台に、マックス・フォン・シドー演じるランカスター・メリン神父と悪しき者との対決を静かに予感させる名場面で、私も初めて観た時は形容し難い戦慄と興奮を覚えたものだった。

 
その後はマクニール母娘とデミアン・カラス神父を軸に物語が進むが、女優として名声と富を得る前者は娘リーガンの怪異たる変貌に翻弄され、後者は神に仕える者の理想と現実のギャップや身内の不幸に思い悩まされる。

 
こういった登場人物や物語の描写は無駄なく丁寧に行われていて、俳優陣も実に素晴らしい演技をしていると思う。

 
ドキュメンタリータッチを意識した演出になっているのも功を奏した。

 
勿論、特殊効果の技術と表現は今更言うまでもなく第一級品で、何度観たか分からぬ身でも今だに恐ろしさを感じるほどだ。

 
かつて『七人の侍』は、人間ドラマを描く手綱を緩めずにアクション映画を撮るという志のもとに作られたというが、『エクソシスト』も人間ドラマを含め全てをおざなりにすること無く描き切ったと言うべきか。

 それ
故に、この映画を単にホラー映画とカテゴライズする意見には、多くの人々が抵抗を感じてしまうのだろう。

 
もし未見なら、一度は観て損の無い傑作である。

 

※これは全くの余談だが、なぜ○○○(ネタバレ防止のため伏せ字)が本人以外に知らない事実を混ぜる事が出来たのか、以前から漠然と不思議に感じていた。

存在が存在だけに、かの者は黄泉の住人とも自由に交流可能なのか?

しかし、今思えばその場に居る人間の心を読み取る事が出来さえすれば良いのだと気付いた。

これなら人格は一つだと断言したメリン神父の言葉とも辻褄が合う。

と言っても、実際の製作者の意図がどうなのか知る由も無いのだが(笑)。



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