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創作から興味ある事柄まで気まぐれに綴ります
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ここ数ヶ月悩んだ末、『江戸川乱歩の美女シリーズ』のブルーレイボックスを購入した。

37000円という価格だけに躊躇もあったが、DVD版を集めるよりもかなりお得だし、何せ全25作品・ディスクにして13枚というボリュームだけに思い切って決断した次第だ。

各作品に対する感想は別の機会にするとして、今回は『江戸川乱歩の美女シリーズ』ブルーレイボックスの個人的な総評を書いてみたいと思う。

<画質について>

数十年前のテレビ作品である事や当時のフィルム保存状態を予測するに、例えブルーレイといえども過度な期待は禁物と考えていたが、はたしてその通りであった。

既に所有していた同シリーズのDVD版と比較してみたが、解像度自体は幾らか上昇しているものの、画質的には正直言って大きな違いは無い印象を受けた。

ただ、ブルーレイ版は画面サイズや比率が大きくなっているのに加えて色の濃さも上がっている様だし、当時テレビで観たままの雰囲気を醸し出しているとも言える。

<ボリュームについて>

これについては大満足。

1本あたりの実質時間は1時間20分ほどだが、流石に25作品ともなると大した量である。

<面白さについて>

このシリーズが好きだった往年のファンには堪らない面白さ。

第1作から19作目までは井上梅次監督が演出しており、連続で観ると作品に統一性が保たれているのが良く分かるし、ファンが一番面白いと感じるのもこの時期の物だろう。

20作目は今も2時間ドラマなどで演出を手掛ける村川透監督に変わるのだが、この「天使と悪魔の美女」も井上演出に劣らぬ出来映えを誇っている。

ここから25作目まで監督を点々と変えてシリーズを進めて行く事になるのだが、それにしても残念なのは文代を演じた五十嵐めぐみ・小林少年を演じた柏原貴の両名が前作をもって降板した事で、井上梅次監督と共にこれらの人達がシリーズを去ってしまったのはかなりの痛手だったと思う。

続く21・22・23作は個人的にイマイチの出来に終わったが、24・25作で有終の美を飾ったと言って良い所まで持ち直せたのは幸いであった。

ここまで明智小五郎を演じてみせた天知茂は54歳という若さで突然この世を去ってしまうのだが、最後の25作目でも弱った所が少しも感じられない名探偵ぶりであった。
 
猥雑さ・チープさ・枝葉部分の俗な演出などが逆に魅力になっている本作だが、通して観賞すると基本的には正統派としてキチンと作られているのだと感心させられた。

いま見ても十分に面白いどころか、当時より良く出来ていると感じられたのは何とも嬉しかった。

未見の人にお勧めして良いものかについては悩む所ではあるが(笑)。

<総評>

4万円近いお金を出した時には後悔するのを心配したが、今は買って良かったというのが素直な感想だ。

天知茂が演じる明智小五郎は時にユーモラスな仕草を交えつつもあくまでダンディーで凛々しいし、荒井注の波越警部や五十嵐めぐみの文代助手も原作とは全く違うのに愛着が湧いて仕方ない。

買いかどうかと聞かれれば、値段の高さは障壁となるものの、往年のファンなら買って損したと感じる事はまず無いだろう。

ただし、既に同シリーズのDVD版を多く持っている人の場合、ブルーレイ版だからといって大きなメリットは感じられない可能性があるので注意が必要である。


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先日、『スターウォーズフォースの覚醒』のブルーレイを購入し、ジョージ・ルーカスの手を離れたエピソード7を初めて鑑賞した。

一度目は英語音声&日本語字幕、二度目は日本語吹き替えで観たのだが、原作者の思想的なニュアンスは無くなっているものの、新シリーズとして十分の面白さを持った作品に仕上がっていた。

既に多くの人が語っている様に、主人公の一人で可憐さと逞しさを合わせ持つ女性レイは大変魅力的だし、往年のスターウォーズファンがニヤリとしたり感慨に耽ったり出来るシーンも満載である。

シリーズの定石を保ちつつ新しい部分もしっかり盛り込んであるのだが、それを理想の形で綺麗にまとめている
JJ・エイブラムス監督の熱意と手腕には本当に感服した。

スタートレックシリーズを手掛けた経験も大きいのだろうが、それにしても大したものである。

皆が指摘するカイロ・レンの未熟さも気にはなるが、ジェダイでありながらダークサイドの誘惑に悩む者が多かったこれまでと違い、ダークサイドに身を置きながら自分のライトサイドの部分に悩まされる悪役という描写を設けたのはユニークな試みだったと思う。

寧ろ私が一番違和感を覚えてしまったのは、ラストシーンでレイとあの人が出会うシーンで、ロケ地の美しさと人物の対比が噛み合っていなかったのが気になった。

それまで慎重にこなしていただけに、カメラワークも演出もちぐはぐに感じたのだが、あの特異な景観をなるべく手を加えずに生かそうとして裏目に出たのだろうか。

一方、フォースの覚醒にイマイチ乗り切れない往年のファンが居る事は十分理解出来る。

ILMCGを中心とした仕事は相変わらず見事だが、今やそれが感動を呼ぶ物では無くなっており、事実上スターウォーズが映像面での驚きを失ったのは痛手であろう。

スターウォーズ自体がクラシックな一面をお約束としているだけに、ファンの多いこのシリーズを新鮮かつ満足のいく作品に保つのは、さぞ骨の折れる作業ではないだろうか。

ちなみに私も一回目に観た時はそこまでピンと来なかったのだが、二回目で実に丁寧に考えて作ってあるのに気付き、更にハン・ソロやレイアの日本語吹き替えが以前と同じ人達であるのに感慨深い物をおぼえて、やっとフォースの覚醒が自分の中でスターウォーズサーガに加わった気がした次第である。



『トレマーズ5・ブラッドライン』はトレマーズシリーズの最新作である。

私はこのシリーズが好きで全て観ているのだが、今作もトレマーズらしくコメディーを散りばめたモンスター映画に仕上がっていて安心した(自分はブルーレイディスクを購入)。

トレマーズに出て来る敵はグラボイズと呼ばれる地中を高速移動するモグラに似た化け物で、さながら地上版ジョーズの様な存在だ。

グラボイズは目が退化している代わりに音に対して非常に敏感な性質を持ち、次の2で登場する小型の二足歩行生物シュリーカーは熱センサーを使って獲物を追って来る。

更に3ではアスブラスターに進化し、体内のガスに火を付けて空を滑空しながら襲って来るのだから始末が悪い。

最新作はこれまでと違ってアフリカに舞台を移し、独自の進化を果たした凶悪なグラボイズ達が相手だ。

この新たなグラボイズは非常に残忍な性格の持ち主で、ユニークな登場人物たちを空気も読まずに容赦なく始末していく。
(1・2・3と違い、怪物について詳細な分析を行う描写が無いのは少し物足りなかった)

対するはシリーズの代名詞とも言えるガンマニア兼サバイバリストのバート・ガンマーその人であり、今作でもファン納得の行動力を発揮してくれる。

歳を重ねても信念を曲げない不屈のバートを演じるマイケル・グロス氏は2016年現在で68歳のはずだが、一作目から変わらぬその役作りには脱帽する他ない。

トレマーズ5を観た人なら分かってくれると思うが、バートファンにとってこれはちょっと感動ものだ。

時代の移り変わりもあり旧作と比べて若干雰囲気の異なる印象の本作も、バートのおかげでちゃんとトレマーズなんだと感じさせてくれる。

かつて3・4のメイキング映像では製作陣が低予算でやり繰りする苦労を語っているが、今作は大作とは呼べないまでもアフリカロケを敢行したり、それなりの見栄えがするCGを使用したりと頑張っている。

バートを筆頭に夢見る中年からセクシーな未亡人まで個性的でアクの強いキャラクターらが話を紡いでゆくのだが、確かに近年流行りのスタイリッシュなシーンは殆どなく、人によっては一昔前の様な泥臭い演出が随所に目立つ古臭さを感じるかも知れない。

また、エイリアン・プレデター・ジュラシックパークを露骨にオマージュしたシーンも少々鼻に付く。

ただ、これは敢えての演出だろうから、そこは割り切って楽しんだ方が良い。

全体的なクオリティーから言うと中の上くらいの映画かも知れないが、トレマーズシリーズのファン、そして我らがバートを愛する人なら観て損はない作品である。


今回は、私としては珍しく最近の映画の感想を短く書いてみたい。

表題の『マッドマックス
怒りのデス・ロード』は、言うまでもなくマッドマックスシリーズの最新作である。

この映画が評判になった理由は幾つかあり、一つは
70代の監督とは思えぬほどのエネルギーに満ちたノンストップムービーに仕上がっているからだろう。

核戦争により荒廃し切った世界を舞台に、生存と自由を掛けて主人公達が支配者に抗う姿は、台詞を極力少なくし動きで見せる演出と合間って理屈抜きに引き付けられてしまう。

今度のマッドマックスは凄いとの噂に期待し過ぎたせいで、個人的に手放しで絶賛するという程ではなかったが、いきなり映画館でこれを観た人達には強烈な印象を与えたのは十分納得できる。

今作と同じテーマで作られた傑作『マッドマックス
2』はメル・ギブソンの存在感が光ったが、怒りのデス・ロードの実質的な主人公はシャーリーズ・セロン演じるフュリオサで、トム・ハーディーのマックスはそれを支える相棒といった印象だ。

弱肉強食(強者にも容赦ない環境だが)の世界観は昔と同じものの、細かい状況説明はあえてしておらず、年齢制限に響くようなシーンも直接描かずに写雰囲気を匂わす程度にとどめている。

細かい説明を殆どせずに物語をどんどん進められるのは、マッドマックスのネームバリューがあるからこそか。

敵役たるイモータン・ジョーが単純な破壊的支配者ではないのも特徴的だ。

弱者の人間性を蹂躙する独裁者である一方、家系を存続させようと老体に鞭打ちながら陣頭に立つ執念は憐れですらある。

また、この映画の女性達は極めて隷属的な立場に置かれているが、反旗を翻したフュリオサとイモータン・ジョーの妻たちを行動的に描く事で、視聴者に前時代的な映画という印象を与えない様にしている。
(それでも不愉快な気分になる女性は相当数いると思うし、この映画を評価する人間の殆どは男性であろう)

大作なので時代に合わせた表現になるのは仕方ないが、「マッドマックスはこうなんだ」というジョージ・ミラー監督の徹底したこだわりが滲み出ており、その臭いを感じ取った往年の映画ファンとって堪らない作品ではないだろうか。

※日本語吹き替えの一部キャストに不満が出たようだが、実際に聞いてみるとそれほど気にならない。
とはいえ、初めて観る時は字幕がお勧めであるが。


 当ブログでは金田一耕助シリーズの映画を幾つか紹介したが、今回は古谷一行が金田一に扮するテレビシリーズの『犬神家の一族』について書いてみようと思う。

 これは同シリーズの初陣を飾る作品であり、犬神佐清と野々宮珠世のキャストに多少違和感を覚えるものの、テレビドラマらしからぬ見応えのある内容になっている。

 原作の金田一耕助に最も近いと評される古谷一行の役作りは、髪型が少々短めな以外この一作目から既に固まっていて、風采は上がらないが味のある人懐っこい着物姿の探偵を上手く表現している。


 ユーモラスで人好きのする点では、映画版『悪魔が来りて笛を吹く』で金田一を演じた西田敏行と似ていなくもない。

 古谷氏以外も好演の光る本作だが、中でも特筆すべきなのが松子夫人を演じた京マチコで、犬神佐兵衛の写真を前に紙片を焼くシーンの凄味は格調高いとさえ感じた。

 彼女の瞳は非常に特徴的なので、静かな演技でも目を見開いたような効果が出せるのだ。

 映画で同じ役を熱演した高峰美枝子や富司純子も大変良かったが、京マチコのそれはテレビドラマの枠を超えるものだった。


 また市川崑監督の『犬神家の一族』のそれと違って、佐清のマスクが能面をモチーフにしたデザインになっており、顔にピッタリと張り付く感じでは無く石膏を思わせる強張った印象を与える素材になっている。


 これはテレビ版独自の演出だが、他にもある人物が本物の能面を被る事からして、着用者の性質を表す象徴として用いている様だ。

 またオリジナル要素としては、犬神佐兵衛の謎めいた出自に触れている点にも注目したい。


 犬神の血に呪わしい過去があるという少々オカルトめいた設定だが、特徴的なナレーションと惨たらしい絵巻で短く綴ったこのシーンは、中々に効果的だったのではないかと思う。

 最も大きな変更は結末の部分で、原作では半ば人情味を帯びた形で大団円風に幕を閉じる『犬神家の一族』も、テレビシリーズで描かれた終幕は珠世により現代的な行動を取らせる内容であった。

 映画版に比べると、このテレビシリーズの『犬神家の一族』を観た人は少ないだろうが、映画にも劣らぬ豪華な出演人を見るにつけ、金田一耕助譚の人気が当時いかに高かったかを窺い知れる。

 私は古谷一行演じる金田一耕助テレビシリーズのDVDを概ね所有しているので、機会があれば今後も紹介して行きたい。




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