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創作から興味ある事柄まで気まぐれに綴ります
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放射能X(原題:them!)1954年に公開されたワーナー・ブラザース製作の映画で、「キングコング(1933年)」「原子怪獣あらわる(1953年)」と並びモンスターパニック映画の初期の傑作と言われる。

私がこれを観たのは数年前なのだが、予想よりもしっかりと作られた作品で大変面白かった。

サスペンス風かつスピーディーに展開するストーリー、荒唐無稽な設定をきちんと科学的根拠に基づいて推理する丁寧さ、実物大で製作された怪物のプロップや操演など、この手の映画の基本的な魅力をあらかた兼ね備えている。

今回あらためてDVDを購入し鑑賞したのだが、画角は狭めながらモノクロの画質は中々に良好で非常に見やすかった(さすがに雨水管内が舞台の撮影は、光量不足なのか他よりぼやけ気味ではあったが)。

「エイリアン2」に強い影響を与えているというのも納得だが、個人的には鉄人28号の「巨大アリ事件」との酷似に驚いた。

この漫画が掲載されたのは1961年というから、作者の横山光輝氏も多大なインスパイアを受けたのだろう。

実際、「放射能X」はエンターテイメント物としてお手本になる様な作品である。

また、日本の「ゴジラ」も1954年公開であり、モンスター映画のマスターピースが同じ年に重なったことを思うと何やら感慨深い。

他のクラシックなモンスター映画よりも現代的なスタイルで作られているし、興味のある方はご覧になってみてはいかがだろうか。

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映画『飢餓海峡』は1965(昭和40)に公開された東映製作の映画である。

水上勉の同名小説を原作としているが、映画独自のエッセンスが多分に含まれている様だ(私は未読のため詳細は分からず)

今で言う社会派ミステリーに分類される作品だが、戦後の貧困に喘ぐ人々が混沌の渦に巻き込まれる姿をただ描いただけではない。

冨田勲が作り出す子守唄と読経が入り混じった様な不気味なテーマ曲は冥界からの呼びかけの様であり、わざと粗くされたモノクロ画質とオカルティックな演出によって事件物らしからぬ雰囲気を醸し出している。

主役を演じた三國連太郎は底の見えぬ難しい役柄を見事にやってのけ、真実に迫りたい捜査陣と同様に観客をも混乱に招く。

また何といっても左幸子の熱演は鬼気迫るもので、貧しさから若くして娼妓に身を置く者の諦観やしたたかさを見せる一方、エキセントリックな一面で相手を狼狽させる簡単には解し難い女性を表現し切った。

彼女の演じた杉戸八重は誠に不憫な人物なのだが、三國の演じた犬飼多吉からすると、理解者・庇護者であると同時に破滅への導き手でもあるのが何とも皮肉である。

主演の二人だけでなく、伴淳三郎が演じる静かに執念を燃やす老刑事、高倉健が演じる若き辣腕刑事、藤田進が演じる冷静かつ温かみのある警察署長などもまことに良い。

個人的な映画の感想としては、純朴でありながら狂気を内包した(或いは環境がそうさせた)男女が運命に翻弄される様を、天から俯瞰で観る様な視点で撮られたような印象を受けた。

ただ特異なのは、二人が歩む細い道のすぐ足元に冥獄の闇が渦巻いている恐ろしさである。

私は湿っぽい話は苦手なのだが、映画『飢餓海峡』は乾いた視点とオカルティックな無常感が漂う演出のおかげで興味深く観賞することが出来たし、これは観ておいて損のない作品だと思う。



今回紹介する『新幹線大爆破』は、1975(昭和50)に公開された東映の作品で、邦画におけるオールスターキャストのパニックアクション大作の口火を切った映画である。

新幹線に爆弾を仕掛けたと言う犯人から500万ドル(15億円)の莫大な身代金を要求され、当時の国鉄関係者や警察がこれの対処に当たるスリリングなストーリー。

犯人の使う爆弾は時速80キロになると起動し、その後は時速80キロ以下になると爆発するという厄介な代物で、高速鉄道である事や自動ブレーキシステムなどテクノロジーの進化がかえってアダとなる秀逸な設定だ(逆にこの特殊なシステムのせいで犯人の身元が割れる皮肉も効いている)

1500人の乗客を乗せたまま「止まる事が出来なくなった」高速列車が終点に着くまでに爆発を防げるか、ノンストップで繰り広げられる犯人と国鉄・警察側の攻防は邦画では中々観られない迫力である。

内容が内容だけに国鉄からは強力を得るどころか製作中止まで迫られた様だが、その影響でミニチュアを使った撮影に迫られ、あの成田亨氏らも参加して中々良い映像に仕上がった。

私は今回ブルーレイ版を購入したのだが、流石にいま観るとミニチュアなのが丸分かりのシーンが多いものの、往年の特撮映画好きとしてはこれが味に感じられて心地良い。

トラックの荷台の扉が開けられて見えないはずなのにナンバープレートを報告したり、犯人に気付かれないよう慎重な捜査が必要にもかかわらずパトカーを連なって行動したりとツッコミ所も多いが、スピード感や分かり易さ重視の演出を最優先にした故の事だろう。

また犯人らを人生どん詰まりの状況に追い込まれた人間として哀愁を持って描いており、ただ身代金だけにこだわっているのではなく、自分達を追い詰めた社会システムへの反抗も兼ねている。

ここが単なるパニックアクションと異なる点で、主犯を演じた高倉健の悲哀を込めた演技は特に印象的だ。

他の演者がねちっこい演技をしている(求められている)のとは対照的で、彼の異質に近いリアリティのある表現が観客の同情を強く呼ぶのだろう。

海外で上映された『新幹線大爆破』は犯人側の描写が大幅にカットされていたらしいが、例えそれでスピード感やエンタメ性が増しても、この映画の一番大事な部分が無いに等しいと思う。

運転士に指示を出す運転司令長を演じた宇津井健の最後の言葉が胸に響くのも、対照的な立場に居る高倉健らの存在があってこそである。

映画のラストではその結末に似つかわしくない飛翔感のある音楽が短く流れるが、夜空に飛び立つ機体に乗せて印象的な後味を我々に残す。

スピード感に満ちたパニックアクションの秀作だが、ただそれだけでは無いのが『新幹線大爆破』の魅力である。

まだ未見の方は是非ご覧いただきたい。



日々の忙しさや自作小説のアイデア作りに時間を取られ、またもや更新が2ヶ月ぶりになってしまった。

今回はダリオ・アルジェント監督の「歓びの毒牙(1970)」について触れてみたいと思う。

当然ながらネタバレ無しに書くのでご安心を。

確かこのブログで言及した事は無かったと思うのだが、私はダリオ・アルジェント監督の作品が好きで、だいたいの物は鑑賞済みである。

彼はイタリアの映画界でスリラー物を指すジャーロ(またはジャッロ)の代表格であり、日本でもファンが多い。

「歓びの毒牙」は初の監督作だが、後年に至るまで彼のジャーロ物はこれのバリエーションと言っても良いほどである。

フレドリック・ブラウンの小説を原作にしているとの事だが、私は未読のためどの程度が映画の下敷きになっているかは分からない。
(イタリアに滞在中のアメリカ人作家を主人公に据えているのも、原作に沿っての事であろうか)


「歓びの毒牙」「わたしは目撃者」「4匹の蝿」の初期3(これらの原題に動物の名が入っている事から「動物3部作」とこじつけ?!られる)は、70年代のイタリアの洒落た雰囲気とそこはかとないユーモアが漂っていて、怖い事は怖いけれどまだ残酷描写に寄っていない頃のアルジェントの魅力が光っている。

たまたま事件現場に居合わせ主人公は、被害者を助け様として二重ウインドウに挟まれ閉じ込められてしまう。

犯人の男を目撃するが帽子とコートに身を包んでいたので顔は分からず、しかし警察に疑いの目をむけられた事もあり独自の調査に乗り出す。

その為に犯人から執拗に命を狙われるのだが、主人公の方もやられてたまるかという性格なので、ちょっとしたアクション映画の要素も兼ね備えているのが面白い。

ジャンルはともあれ作品の形式は純然たる娯楽映画なので、初公開から50年経った今観ても十分に楽しめるであろう。



仕事が忙しかった事もあり、またもや更新が滞ってしまった(HDバージョンを長年心待ちにしていた『ゼノブレイド ディフィニティブエディション』も発売日に購入したのだが、ほとんど進められていない有様だ)。

さて今回レビューする『砂の器』は1974年に公開された松竹映画である。

脚本の橋本忍と監督の野村芳太郎は、小説を連載中に両氏の実績を信頼する松本清張自身から映画化を依頼されたというが、紆余曲折を経て完成した映画は原作者を十二分に満足させるものに仕上がった。

製作に関する詳しい経緯やエピソードは関連書籍などを参考にして貰うとして、当ブログではネタバレを回避しつつ個人的な感想を述べさせていただきたい。

今回、記憶を取り戻す為にブルーレイ版を購入して鑑賞したのだが、以前よりも良い印象を抱く事が出来た。

というのも、私が前回『砂の器』を観たのは内田吐夢監督の『飢餓海峡』とほぼ同時であり、その時は後者の方がより強く印象に残ったからであった。

ミステリー小説の大ファンであるという野村監督だけあって、刑事2人が秋田県を訪れる冒頭から事件の全貌が判明していく所など捜査シーンは正に自分好みで素晴らしかったのだが、有名な終盤の「宿命」の曲をバックに過去の物語が映し出される肝心のクライマックスにちょっと違和感を覚えてしまったのだ。

辛酸を味わった父と子が別れを惜しむ場面や父親が入る施設を刑事が訪ねる場面、被害者が犯人を説得する短いシーン(犯人の動機を明確に示す部分は映画中ここにしかなく、それだけに印象に残る)などには感動させられたが、トータルで考えると当時の私には感傷的過ぎてどこか陳腐に映ったのだろう。

だが、改めて観てみるとやはり良く出来ているし、ウエットな演出が苦手だった自分の問題だったのかも知れない。

確かに都合よく登場人物同士が出会ったり、車窓から〇〇を散らすシーンなどご都合主義も散見する。

しかし、この種の事は映像作品としては避けられない選択で、理論的な解釈より映画としての効果や分かりやすさを優先させながら、それを致命的な問題として捉えさせない所を評価すべきであろう。

社会派的な面を含みつつエンターテイメントとして一級品に仕上げられているのは称賛すべき事で、野村芳太郎監督や橋本忍氏の非凡さと真摯さを感じさせてくれる作品である。





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