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創作から興味ある事柄まで気まぐれに綴ります
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「ゴジラの逆襲」は1955年に製作された東宝映画で、ゴジラシリーズの第二作目にあたる。

怪獣映画のマスターピースとなった前作の翌年に公開された本作品は、地味ながらも興味深いものとなっている。

監督は本多猪四郎氏ではなく小田基義氏で、特撮作品では「透明人間」なども手掛けている人物だ。

「ゴジラ」の大ヒットをうけて急遽作られた所以か、第一作目と比べるとややスケール感に欠ける上にテーマ性もかなり薄れた印象で、そのぶん娯楽性…というより通俗性が増したと言うべきか。

(主演の小泉博氏や助演の千秋実氏らの飾らない演技が、余計にそう感じさせるのかも知れないが)

ただ、主人公が元戦闘機乗りで今は漁船と連携する飛行艇のパイロットという設定や、物語の舞台が東京ではなく大阪と北海道なのも、前作との差別化になっていて悪くないと思う。

それにゴジラ以外の怪獣としてアンギラスが初登場するのもこの映画で、実は怪獣同士の争いは早くも二作目から始まっていたのだ。

脱走した囚人らの顛末の強引さや、クライマックスの戦闘機が攻撃するシーンの絵替わりの乏しさなど多少気になる点はあるが、改めて鑑賞するとなかなかの佳作に仕上がっているのではないだろうか。

本作から7年後に製作された本多猪四郎監督の「キングコング対ゴジラ」が、第一作目のテーマ性など微塵も感じられぬコメディー色の強い作品になっていた事を考えると、シーンの端々に「妙な日常感がある」このゴジラもまた良いものである。



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今回は1979年公開の「金田一耕助の冒険」に触れてみたいと思う。

角川製作の金田一映画として一区切りつける予定だった本作は、低予算かつパロディー満載の悪ノリ感に満ちた怪作である。

これらは敢えてそう作られているのだが、面白がられるより当惑されたり呆れられることの方がずっと多かったようだ。

実際、早送りなしに最初から最後までこの映画を観続けるのは、大抵の人にとって苦痛かも知れない。

パロディーやギャグ演出が笑えないのはともかく、コメディーとはいえミステリーとしての筋立てが初見では掴みにくいので、置いてけぼり感を拭えないまま最後を迎えてしまうのだ。

これは黒板に書かれている意味が分からずに授業が進んでいく感覚に似て、物語の柱となる要素が理解し辛くては観る者の関心を誘うのは難しい。

監督の大林宣彦氏は自主映画の草分け的存在の一人で、それまでの業界セオリーを踏まずにCMディレクターから映画監督になった。

それが良いか悪いかは別にして映画監督の基礎修行を経なかった彼にとって、たゆまぬ実験的挑戦はアイデンティティーを保つ重要な要素だったのだろうか。

さてリアルタイムではなく後になってから観た私はというと、ファンだった金田一耕助物にブームの火付け役たる角川自身が半ば強引に幕引きを行い、しかもそれが悪ふざけともとられかねない内容だった事に失望をおぼえた。

勿論、作中の印象的な音楽にはとても惹きつけられたし、金田一の独白から切ないラストシーンに繋がる一連の流れは脈絡がどうこうを抜きにして好きである。

そして最近になり改めて見直した(初めて早送りせずに全編を観た)ところ、「この際だから気になる部分もいっそ受け入れ、破茶滅茶な世界観を楽しもう」と思えた。

主演の古谷一行氏はテレビドラマで大好評を博した金田一耕助そのままの熱演だし、戸惑いながらの演技だったらしい田中邦衛氏の等々力警部も良かった。

この映画では金田一耕助だけが従来の世界観を守るほぼ唯一の人間なのだが、周りに場違いの物が羅列され過ぎているせいで、逆に異質な存在として浮き出てくる。

統一感や脈絡に欠ける中に整合の取れた場面を入れて際立たせるのも同様である。

ラスト付近で金田一譚を露骨に揶揄するような台詞が重なるのはファンとしていささか歯痒いが、金田一自身のそれは自己肯定の為の自虐だと言い聞かせ、後は美しいエンディング曲に身を任せるとしよう。



今回紹介する作品は、1957年公開のモンスターパニック映画「黒い蠍(原題:The Black Scorpion)である。

以前紹介した1954年公開の「放射能X(原題:Them!)」と同じくモノクロ映画だが、こちらはストップモーションアニメでモンスターの動きを表現しており、これがいま見ても不気味で結構な迫力なのだ。

勿論、65年前の作品であることを考慮しなければならないが、レイ・ハリーハウゼンの師匠であるウィリス・H・オブライエンが特殊効果を担当しているだけのことはある。

内容的には火山の爆発をきっかけに古代の巨大サソリが暴れ出すというオーソドックスなものだが、メキシコが舞台なのでどこか異国情緒が漂っているのが良い。

登場人物も地味だが魅力的な者が揃っており、斬新でないにしても手堅い仕上がりになっている。

古い作品ではあるが、この手のジャンルが好きな方なら一度見ておいて損はないのでは。



少し前のことになるが、ドグラ・マグラのブルーレイ版を購入したので、簡単にレビューしてみたいと思う。

なお、いつもと同じくネタバレは極力控えるので、その点はご了承いただきたい。

原作は1935年に刊行された夢野久作の探偵小説で、10年の推敲を経て世に出た力作だ。

「黒死館殺人事件」「虚無への供物」と並び、日本の探偵小説史上における三大奇書の一つとしても知られる。

これを初めて読んだ者はどこか精神に異常を来した様な感覚に陥ると言われるが、自分も軽度ながら身に覚えがある。

大袈裟なことを言うつもりは無いのだが、余りに感受性の強い人は原作に対して慎重に挑むべきかも知れない。

読み手側の受ける印象を熟考して練られた文章と展開は、思考的混乱へと導く設計がなされているからだ。

一方、今回紹介するドグラ・マグラは1987年に製作された映画で、主演の松田洋治氏や故・桂枝雀氏の怪演が話題になった作品である。

オープニングの「胎児よ 胎児よ 何故躍る 母親の心がわかって おそろしいのか」という不穏な言葉は原作の巻頭歌を引用したものであり、脳髄の地獄へ招き入れるに相応しい文句と言えるだろうか。

ただ、映画自体は割と淡々と進んでいくし、あからさまに恐怖を駆り立てる類の演出も殆どない。

また一連の事件は過去に起こった事であり、リアルタイムの進行においては、現実とも幻ともつかぬ主人公の記憶を呼び覚ます道程が描かれる。

当然ではあるが、原作は小説の形態において効果が出るような組み方で物語を構築しているので、それを映像作品として分解・再構築するにはさぞ骨が折れた事だろうと思う。

実際、映画を観て初めてドグラ・マグラの内容を理解したとの声も少なくないらしい。
(さすがに細部まで忠実な映像化とは言えないし、映画独自の解釈や表現、分かり易くする為の工夫も多いが)


狂気と悲劇と喜劇が奇妙に織り混ざったこの作品は、恐怖というより当惑を楽しむ事に似ていて、その点で原作と映画は確かに共通しているのである。



先日『トレマーズ 地獄島」のブルーレイを購入したので、いつもの様に肝心な点はネタバレ無しで簡単にレビューしてみたい。

マイケル・グロス演じるバート・ガンマーが主役のシリーズ第7作目にあたる本作は、5作目の『ブラッドライン』、6作目の『コールドヘル』に続きドン・マイケル・ポールが監督している。

今回は南方の島々が舞台。

グラボイスの卵を持ち出し遺伝子改良を加えてそれを狩るというハンター連中のせいで近隣が危険に晒され、パプアニューギニアの無人島で1人暮らしていたバート・ガンマーが知人に乞われて嫌々乗り出すというストーリーだ。

ただ、今回は味方側にバートが本来頼りとする筈の銃器が無いため、火炎放射器・マチェット・チェーンソーなどで応戦する事になる。
(そのかわり戦時下に保管されていたダイナマイトは割と潤沢な模様)

これはドン・マイケル・ポール監督の3作品に共通するのだが、個性的な登場人物を短い描写で印象付けるのが上手く、限られた予算でそこまでチープに見えないクオリティーに仕上げられているのは中々の腕だと思う。

一方、バートとその相棒のスタンスがワンパターンだったり、なぜか繰り返される排泄物をネタにしたコメディー要素には少々閉口させられる。

また個性的なキャラクターの双璧だったハンターのボスやアーチャーが大した活躍を見せないのは、観る人の多くが惜しいと感じるだろう。

個人的な感想ではあるが、地獄島はブラッドラインほどでないにせよ前作のコールドヘルよりは面白かった。

ただし、本作はスローモーションや感傷的な演出が結構な割合で差し込まれるため、その部分の妙な長さに違和感をおぼえてしまう。

むしろいつも通りに演出した方が、よりラストが引き立った気がしなくもないが・・・。

ともあれ、70代にして偏屈なサバイバリストを演じ切るマイケル・グロス氏には敬意を表したいし、トレマーズシリーズ、そしてバート・ガンマーのファンなら一見の価値はあるのではないだろうか。





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