創作から興味ある事柄まで気まぐれに綴ります
[1]
[2]
お読み頂いた『曲者』は、数年前に書いた元作品を、ブログ用に改訂して掲載した物である。 私の小説の多くは「大人向けジュヴナイル」とでも言うべき形態の作品で、これもその例外ではない。 短編ミステリーで、人物や舞台の描写が薄く、リアリティーにも世俗的要素にも欠けるのが、自分のワンパターンなスタイルなのだ。 これは素人による下手の横好きというのもあるが、稚気を帯びた題材を本当のフリして書くという事に、魅力を感じているのが大きいと思う。 娯楽の本質は、ジャンルを問わず“真剣に馬鹿をやる楽しさ”なのだと、今更ながらに強く感じる次第である。 もともと個人的に書いた物なので、ブログという媒体に似つかわしくない描写が一部あったかも知れないが、そこは何分ご容赦願いたい。 ともかく、こんな拙作を最後まで読んで頂いて感謝致します。 ※この物語(曲者)はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。また、この作品の無断転載・無断転用はご遠慮下さい。 PR
<7.凶刃の宿命>
古辺犯罪研究所の二人が目的地である霧霜神社についたのは、駅前の喫茶店を出てから約30分後の事だった。 古辺の腕時計の針は、ちょうど11時5分を指している。 そこは住宅街の側とは思えないほど静寂に満ちていて、神社全体を大きく取り囲む木々の群は、まるで拝殿を守るように聳え立っていた。 ここまで乗って来たタクシーの運転手に聞いたところ、ここは地元の人間なら殆どの者が知っている場所らしい。 秋祭り・七五三・厄除けなど、市民にとって生活に欠かせない存在となっているのだろう。 入口左手の駐車場には一台も車は停まっておらず、出入りする人間も入口から見る限り見当たらない。 余りの静けさに薄気味悪さを感じながら、古辺らは神社の中へと入って行った。 門を潜ると、樹木の密度が増して辺りが暗くなる。 やがて日影の道を数十メートル行くと、小振りで古めかしくも立派な拝殿が姿を現した。 「東馬は何故ここを選んだんでしょう?今は人気が無いものの、こんな住宅街の近くで接触するなんて危険だと思うのですが」 「恐らく、平日のこの時間は邪魔が入りにくいと知っているんだろう。それに逃亡するなら、辺鄙な所よりも交通の便が良いここの方が有利だ。どちらにしても、ヤツは早めに片を付ける気で居るに違いない」 二人は周りを警戒しながら、とうとう拝殿の前まで来た。 だが、呼び出した相手の気配がうかがえない。 「もしかすると、あの電話は犯人の分断作戦だったんですかね。少しでも力を削いでおこうとしたのかも」 どこかホッとした表情で、新垣が言った。 “ブーン” 予期せぬ時に自分の携帯電話が振動したので、新垣は心臓が痛くなった。 これではまるで、アパートを襲撃された時と同じではないか。 「もしもし、新垣です。ああ、櫛川さん。えっ!東馬がホテルから姿を消した?!」 静まり返った空間に、新垣の驚いた声が響く。 やはり東馬は、こちらの意図を読んでいたのである。 「ええ、分かりました。そう伝えます」 助手は電話を切ると、沈んだ面持ちで所長に報告した。 「東馬は、いつの間にかホテルを抜け出した様です。嘉犀をはじめ『千験』の一味と疑われる五名も、どこへ行ったか行方知れずなんだとか」 それを聞いた古辺は浅く溜め息を吐くと、上着のポケットに両手を突っ込んで拝殿を睨んだ。 「地元警察の動きを察知されたか。まぁ万事が上手く行く事など稀なのだし、今回は仕方あるまい。いつか合間見えるチャンスもあるだろう」 この時である。 遠くで何か擦れる様な音がしたかと思うと、新垣の目の前で古辺が前のめりに倒れ込んだ。 見ると、背中に和弓の物と思われる矢が刺さっている。 「新垣くん…急いで逃げ給え」 苦しそうに古辺がうめく。 その矢が刺さった部分が紅く染まって行くのを見て、弾丸や刃物を防げるベストでも、矢は勝手が違うのだと新垣は悟った。 「し、しかし…」 「早くしたまえ!がむしゃらに逃げて、櫛川刑事に応援を呼ぶんだ」 自分に肩を貸そうとする新垣を古辺が一喝した次の瞬間、新たな矢が彼の背後に突き刺さり、低い断末魔を上げてその場に沈んだ。 「所長!しっかりして下さい!!」 助手が激しく体を揺すっても、それきり古辺は動かない。 才を秘めながらも名を成す時を得ず、古辺玲四郎は絶命したのである。 激しい衝撃と憤怒に打たれた新垣だったが、自分までやられると元も子もないと思い直し、周りの木に身を隠しながら彼は門を目指した。 矢が刺さった方向から見て、敵は拝殿を正面に見て左斜め後方に潜んでいると思われる。 そちらを警戒しながら、新垣は木を盾に次々と進んで行く。 幸い日の光を遮断するくらいに樹木が生えているので、意外とリスクの少ない逃亡経路であった。 しかし門の近辺に来てみると、一番大事な最後の十数メートルに、何も隠れる所が無いではないか。 あともう少しという所で、新垣は立ち往生せざるを得なくなった。 長い迷いの時間が過ぎ、彼が一か八かの賭けに挑もうとしたその時、あの東馬尚喜が門の向こう側から姿を現したのである。 東馬は気弱で真面目そうな最初の印象とは別人の表情をしており、全身から殺気が満ち溢れる精悍で獰猛な姿をしていた。 その右手には細くて鋭利極まりないナイフを握っていて、これで新垣の命を奪おうとしているのは明らかだった。 「今度は逃がさん」 彼は標的に冷たく告げると、門を跨いでジリジリとこちらに詰め寄って来た。 新垣は反対方向に逃げたかったが、そちらには弓を構える賊が狙っているのだ。 進退きわまって動けなくなった新垣は、内心うろたえながらも覚悟を決めた。 東馬がナイフを使う気なら、体術で首を折られる確立は減る。 またナイフでも首を斬られさえしなければ、古辺の忠告でジャンパーの右ポケットに入れてある、強力なスタンガンを使うチャンスが来るはずなのだ。 『さぁ、来てみろ』 新垣が決死の布陣を取った時、またも意表を付く事態が起こった。 “パン”という乾いた音が響き、更に“パン、パン”とそれは続いた。 新垣は腹部に衝撃と痛みを覚え、その場に膝を付く。 苦痛に顔を歪めながら前を見ると、何故か東馬もうずくまっていた。 「新垣くん、無事か!」 そう叫びながら門の向こうから現れたのは、こちらへ来ていない筈の盤場警部だった。 「ワシの撃った弾が、東馬を貫通して君に当たるとは…。おお、防弾チョッキを着てるのか!そいつは良かった」 「け、警部さん。どうしてあなたがここに…」 「古辺くんの進言でね。君達を尾ける者が現れた場合を考えて、密かに後を追っていたんだ。櫛川にも知らせていない隠密作戦だよ。この神社には裏手から入ったんだが、拝殿近くの木から東馬が下りて来るのが見えた。ヤツは急いで塀を乗り越えると門のほうへ向かったので、ワシも拳銃を手にそれへ続いたという訳さ。やれやれ、人を撃つなど初めての経験だが、善良な市民を助ける為なら寝覚めも悪くあるまい」 新垣の予想とは違い、弓を放ったのも東馬自身だった様だ。 外から門へ回って待ち伏せる考えだったのだろうが、後ろへ逃げれば一番安全だとは夢にも思わなかった。 痛みが和らいだ新垣がもう一度東馬を見直すと、さっきの態勢のまま微動だにしない。 若き殺人者は、その短い生涯を、自らの血溜りに伏して終えたのである。 「それにしても、古辺君はどこへ行ったのかね。まさか、君を置き去りにして逃げた訳じゃあるまいね?」 わざとおどける命の恩人に、新垣は黙って拝殿の方を指差した。 その態度を見て俄かに顔色の変わった警部は、うろたえた様子で走って行く。 新垣はそれを追う気にはなれなかった。 「ああ、古辺君!何と言う事だ…」 静寂を取り戻した境内に、盤場警部の嘆く声が小さく響いた。 < 完 >
<6.古の衆>
古辺玲四郎と新垣真人、そして盤場警部の部下である櫛川(くしかわ)刑事の三人は、5月14日の午前10時前に新幹線で仙台市へ到着した。 その日は曇り空だったせいか気温が低く、少し厚着しても問題ないくらいである。 櫛川刑事は地元の警察署へ応援の要請に向かったので、残った二人は駅に程近い喫茶店で連絡を待つ事になった。 「いよいよ正念場だよ、新垣くん」 自身は至って落ち着いた様子で、古辺が助手に覚悟を促した。 「櫛川さんから聞いた通り、桑島夫妻を入れて六人もの人間を殺めて来た相手と対決しようと言うのだ。どんなに用心しても危険はさほど薄まらない。我々は上着の下に刃物と銃弾を防ぐ特製ベストを忍ばせているが、何せ向こうは傭兵経験のある手練れだからね」 それを聞いた新垣は、体の芯が震えるのを止められなかった。 自分を亡き者にすべくアパートへ乗り込んできた賊と、今度は真っ向から対決しようと言うのだ。 櫛川刑事や地元の警察官たちの補佐とはいえ、ゲリラ戦に長けた東馬はどんな手を使ってくるか分からない。 彼の気分は沈みがちだった。 「今日の作戦を再確認しておこう。櫛川さんと地元警察の連合チームに合流したら、今度は二手に分かれて行動する事になる。一つのチームは市内にある“もりのさと児童擁護施設”に向かい、そこで長年に渡り代表を務める嘉犀十吉(かさい・じゅうきち)に任意同行を求める。僕はリストを持っていないが、同施設に勤める者も何人か引っ張られるだろう。同じ頃、僕達を含めたもう一つのチームは、東馬が潜伏していると情報のあったホテルへ乗り込む。こちらには、既に見張りを付けてあるらしい。そうだ、今のうちに嘉犀十吉について君に話しておこうか。この嘉犀という老人こそ、表向きは社会奉仕の一端を担う立場でありながら、実は怪しげな集団の長として暗躍する人物なのだ。嘉犀の家は代々からの地主として一目置かれる存在だったのだが、彼が複数のビル経営に失敗したせいで殆どの土地を手放してしまい、昔の勢いが嘘の様な経済状態だという」 「それは、どういう集団なんですか?」 思わず助手が問った。 すると古辺は、テーブルに置いてあるナプキンを一枚抜き取り、自前の万年筆で何やら書き綴った。 ナプキンには『千験』と書いてある。 「せんけん…?」 「正しくは“せんげん”と呼ぶ。後ろの字は、ゲンを担ぐに使われるあのゲンで、縁起や祈祷の効果を指す。『千験』とは、仙台地方に古くからあるとされる密教の一派を指す名前だそうだ。異国伝来の面をかぶり妖しげな加持祈祷を行ったが、それは呪術により狙いを定めた人物に災いをもたらす為だという。世に乱れを起こす者を取り除いて、社会をあるべき姿に導くのが名目らしいがね。後年はより直接的な手段に出る様になり、伊達家によって『千験』は根絶やしにされたと文献は締めくくっている。ただ、長を含む数名が他藩へ逃れた噂も残っていて、後年かの地へ舞い戻り、権力者達を震え上がらせたという逸話もあるんだそうだ。僕が知り合いからこの話を聞いたのは随分前だが、頭のどこかに記憶していたのは幸いだったよ。盤場警部から東馬が仙台に関わりが深いと知り、ふと閃いたんだ」 新垣は先程までの不安も忘れて聞き入っており、説明が途切れた所へ質問を投げ掛けずにはいられなかった。 「嘉犀十吉や東馬が、その『千験』と関係あるのは間違いないんですか?そんな伝承に近い話と、現代の犯罪事件に繋がりがあるとは信じられないんですが…」 「ところがね、新垣くん。地元警察の調べで、僕の推測がまんざら見当違いでもないと分かったのさ。『千験』は菱形の中に釘を表したマークを印章代わりにしていたのだが、かつて嘉犀が経営していたビル管理会社の社章が、それに酷似していると判明したのだ。恐らく彼は、『千験』を束ねる立場にあった者の子孫か、少なくともそれに近い立場の血筋なんだろう。東馬は東南アジアから帰国すると、まず自分の育った児童擁護施設を訪ねた。以前面倒を見た子が傭兵経験を積んで来たと知った嘉犀は、組織の殺し屋としてスカウトしたんだよ。その証拠に、東馬が再度仙台を離れる直前、政治団体の幹部が首の骨を折って変死する事件が起きている。この幹部は地元で相当顔の利く影の大物で、一般には殆ど知られていない人物だ。彼は嘉犀が事業に失敗する遠因を作っていて、それに対する私怨が、長らく断たれていた『千験』を復活させたのだろうと僕は見ている。東馬が滞在する先では、こう言った影の実力者が四人も変死したり殺害されたりしていてね。いずれも事件は迷宮入りしたままだ。彼らは亡き者にされる理由を持っていたが、唯一桑島夫妻だけがその例外だった」 「そう、それですよ。結局、東馬が二人を殺した動機は不明のままなんですか?」 はたして、古辺はその回答も用意していた。 「警部が夫妻の自宅で見つけた日記に、大変興味深い記述があってね。今年の正月に仙台を訪れた際、人里離れた小さな神社に奇妙な面が飾られているのを見たと書いてあるんだ。異国のデザインを日本風に解釈して作った様な、どこか異様さを感じさせる面だったそうだよ。一方、嘉犀の一族は近隣に幾つかの神社を建立している。その中の一つを桑島夫妻が訪れ、『千験』の儀式に使う面を見たのではないだろうか」 「でも、たかが面を見たくらいで殺そうとはしないでしょう。他に何か理由があるのではないでしょうか」 「その神社は、嘉犀が持つ山林にひっそりと立てられていて、一般人に知られないよう、途中でわざと道を遮断する細工まで施してあるそうだよ。夫妻が何故そこを知ったのかは不明だが、神社仏閣の参拝が趣味というだけに、誰かに噂でも聞いたのかも知れぬ。実はねぇ、新垣くん。文献によると、その面は加持祈祷の際だけでなく、これと決めた人物を葬る場合にも被られたと記述があるのだ。儀式に用いるだけの祭具では無いというのを、我々は考慮しなくてはならない」 新垣が空恐ろしさに背筋を凍らせている所へ、喫茶店のウェイトレスがコーヒーとココアを運んで来た。 彼女は狭いテーブルへそれを置いて帰るかと思いきや、古辺に向かって伝言を言付かっていると告げた。 「先程、お店にアズマという方から電話が掛かって参りまして、この席においでのお客様に霧霜(きりしも)神社へ来てくれとの伝言がございました。タクシーで名前を言えば連れて行ってくれるから、そこで落ち合おうとの事です。心当たりがおありでしょうか」 アズマという名前を聞いて、新垣は飛び上がらんばかりに驚いた。 流石に古辺は取り乱さなかったが、かなり緊張した面持ちに変わっている。 「ああ、そうですか。有難う」 古辺が礼を言うと、ウェイトレスは会釈して立ち去った。 「こ、古辺さん。ヤツは密かにホテルを抜け出し、僕らの居所を掴んでいるんですよ!」 狼狽する新垣に、古辺はニヤリと口元を歪ませた。 「何も東馬だけの仕業とは限らない。『千験』の衆が、彼と連動して動いている可能性もある。新垣くん、君はすぐ櫛川さんに電話してくれないか。相手が自分達に捜査の手が及ぶ事を既に知っているので、こちらとは合流せずに、計画通り二手に分かれて突入する様に言ってくれ。僕らは、霧霜神社とやらに行くとしよう」
<5.見えぬ動機>
秋田透の遺体が発見されたのは、秋田が住んでいたアパートの近くにある雑木林の中であった。 死因は絞殺で、直径1センチほどのロープによって後ろから首を絞められたらしい。 かなりもがいた様子で、ここでも東馬の残虐性が滲み出ている様だった。 新聞店の社長が言った通り、秋田はギャンブルの負けが込んだせいで三百万以上の借金があったらしい。 返済に困って手当たり次第に金の無心をしていたという事だから、報酬を餌に犯罪の手助けを頼まれたとしても容易に引き受けたと考えられる。 死体発見の翌日、古辺犯罪研究所を訪れた盤場警部は、現状を把握する為に古辺らと意見交換をしている最中であった。 「秋田に関しては、借金があるという以外に変わった所は無いんだがね」 警部は手元の資料を覗き込みながら言った。 彼は五十代に入ったばかりだが、警察官としては少々太っていたし、老眼も同世代より幾分進んでいる様だ。 「東馬の方は注目すべき点が多い。子供の頃に両親が離婚して母親に引き取られたが、まともに育てて貰えず結果的に児童養護施設へ入っている。施設を出た後は職を転々としていたが、二十歳の時に東南アジアに渡り、何と資産家の傭兵として二年間働いていたというのだ。東馬はここで、刃物の扱いや格闘術を習得したんだろう」 「人を殺す実践的な技術と、それを現実に行う冷酷な精神も、ですね」 古辺が付け加えた。 「そういう事だねぇ。その後日本へ帰国した彼は、当初は故郷である仙台市でアルバイトをしていたが、青森県の田舎町や横浜市など一つ所に長く留まる生活をしなかった様だ。そして去年の6月、この○県H市の新聞店に勤め始めた。今日は5月10日だから、ここへ来てもうすぐ一年になる計算だね」 警部の資料を背中越しに見ていた古辺は、やがて自分の机に戻って語り始めた。 「帰国後の東馬の足取りは中々興味深いですね。同じ場所に一ヶ月と居ないのもそうですが、次の行先を全然違う場所にしている。何回かなら分かりますが、全ての引っ越しでそうするのは珍しい。まるで、元居た地域から出来るだけ離れようとしているみたいじゃありませんか」 古辺がニヤリと笑ったのを見て、盤場警部はハッとせずには居られなかった。 「何が言いたいんだね、古辺君」 そう尋ねる声は、幾分震えている。 犯罪研究家を自称する男は、質問に対して驚くべき回答を放った。 「これは僕の思い付きに過ぎないという事を断っておきますがね。東馬は、この国でも傭兵ならぬ殺し屋として暮らしているのではないかと思うのですよ」 「殺し屋だって!」 我知らず警部が叫んだのも無理はない。 地方の警察官として数十年勤務した彼にあって、プロの殺し屋に出会った経験など一度も無かったのだ。 「東馬が過去に住んでいた地域で、彼の住んでいる期間内に、迷宮入りした殺人事件や傷害事件が起きていないか調査の必要があるでしょうね。東馬が新聞店へ出した履歴書がある筈なので、その写真を拡大すれば役立つと思います。名前は偽名の可能性が高いですが。もし彼に仕事を依頼した人間が居るなら、こっちも逮捕出来るチャンスが生まれるかも知れませんよ」 「うむ。すぐに調べてみよう」 盤場警部の表情が俄かに熱を帯びて来る。 「それから、出崎町の被害者である老夫婦の事についてなんですがね。金目の物や値打ち品は何も盗まれておらず、人から恨みを買う様な人達では無かったという事でした。つまり物取りでも怨恨でも無いとの見解ですが、その後何か新しい事実が出ましたか?」 「いや、そっちに関しては幾ら調べても何も出て来ないんだ。まして、東馬との接点など皆無でね。被害者の桑島重郎・佐貴子夫妻は近所や知人からの評判も良く、夫が銀行を定年になってからは、二人共通の趣味である神社仏閣のお参りに熱中していたそうだよ。二人には子供が居ないので、余計気楽だったんだろう。蓄えは豊富だし夫婦揃って厚生年金を受給しているから、我々からすると羨ましい限りの身分さ」 古辺はしかし、最後の愚痴に対する反応は薄かった。 その一つ前のキーワードに、心を奪われていたのである。 「ふふふ…。警部、ひょっとすると犯人と被害者を結ぶ接点が見付かるかも知れませんよ。ついては、桑島夫妻が訪れたであろう神社仏閣も調べておいて下さい。東馬が幼少の頃に居た、仙台市の児童養護施設に関してもお願いします」 だが、相手は当惑の色を隠せなかった。 「勿論、それは引き受けるがね。もしや東馬が、そこを頼って逃亡した可能性があると?」 「東馬が東南アジアから帰って、最初に身を寄せたのが仙台でした。そこから全国を点々とするのですが、ヤツが殺し屋だとするなら、まず仙台にそのきっかけがあったと考えるべきでは無いでしょうか。ならず者と徒党を組んでいない人間に、殺人者として生きる道を与える何かが」
<4.古辺の推理(後編)>
この事実に、新垣は開いた口が塞がらない状態だった。 いつもここへ配達して来る人物が怪しいのかと予想していた彼は、新たな容疑者が現れた事ですっかり動揺してしまっているのだ。 「で、では昨日朝刊を届けに来た青年が怪しいという訳ですか」 「それを確かめる為にも、一刻も早く新聞店へ聞き込みする必要があると考えたよ。ただ、例の青年が居ない時にやらなければ都合が悪いので、僕は脚に物を言わせて彼の後を追う事にした。オートバイで無かったのが幸いした格好だが、これも実は理由がある。あの時刻は配達時間外であり、オートバイは誰も使っていなかった筈だ。それなのに自転車で数キロの道のりを来たのは、エンジン音を聞かれて、新聞受けの中を拭き取る作業を感づかれたくなかったからだと思う。何せここは犯罪研究所と名乗っているのだから、後ろめたい人間にとって警戒すべき存在に違いないからね。新聞受けが以前の物と違う事に気付かなかったのは迂闊だが、暗いうちに配達していると青色が黒味かかって見えるので、紺色になっていても不思議に思わなかったのだろう。奴さんは急ぎもせずタップリと時間を掛けて新聞店へ帰ったが、今思えば我々の始末について考えながらの帰路だったのかも知れんぜ」 悪戯っぽく笑う古辺だったが、新垣にとっては笑い事ではなかった。 「冗談はよして下さいよ。こっちは実際に狙われたんですから。しかし、どうやって僕のアパートを嗅ぎつけたんでしょう?実は所長が出て行った後、何だが一人で居るのが薄気味悪くなって、すぐにアパートへ帰ったんですよ。あの青年がゆっくり店に向かったのなら、僕を尾行出来るチャンスなど無いはずです。前もって住所を調べていたのなら別ですけど、これはちょっと現実味の無い話ですし」 「その通り。そこが問題なのだが、ひとまず話の続きをさせて貰うとするよ。店に着いた青年は、自転車を置くと中にも入らずそのままどこかへ歩き始めた。ここからは更に慎重な追跡になるので、最新の注意を払ったつもりだ。彼の住むアパートは店から少し離れた下町風の住宅街に建っていて、一階の一番奥に部屋を借りている。15分経っても出て来る気配が無いので、僕は急いで新聞店へ戻って行った。店には配達員は誰も居らず、社長らしきくたびれた中年の男だけだったので、昨日の朝刊が入っていなかった事やその後届けて来た事を話した。ところがね、新垣くん。社長はそんな事など全然知らなかったと言うんだ。また店の名前を印刷した包装付きのタオルは、常に棚に置いてある状態らしい。朝刊の余りは昨日の昼までなら誰でも持って行けたし、全てを隠密に済ますのはそれほど難しくなかったのが判明した。そして、昨日うちへ朝刊を配ったのはいつもの日焼けした方の青年だと分かった」 「ええっ、本当ですか?でも、新聞受けの中を拭き取ったのは…」 「そう、真面目そうな青年の方だ。紛らわしいので、2人の名前を言っておこうか。真面目そうな方が東馬尚喜(あずま・なおき)、日焼けした方が秋田透(あきた・とおる)だ。社長の見るところ二人は格別親しい訳では無く、同じ職場で働いているに過ぎないという。東馬の方は北側区域の配達が担当で、秋田とは別方向の配達に回っている。僕は出来るだけ相手に不審がられない様に注意しながら、様々な事柄を聞き出す事に成功した。そして今回の件に関係する、重大な事実を知ったのだ」 古辺はそこで一息入れ、再び缶コーヒーで喉を潤した。 新垣は先が聞きたくてウズウズしている様だが、我慢して待っている。 「実は昨日の朝、朝刊を配ろうという時になって、あるオートバイのエンジンがかからなくなってしまったそうだ。そこで最も近隣を配達する人間が自転車を使い、故障した人間にオートバイ使用を譲る事になった。ただ、近隣を担当する人間が五十代後半だった為、社長命令で東馬に自転車担当を任せたと言うじゃないか。しかも、それだけじゃない。東馬に代わって貰った五十代の配達員は、普段から使い慣れた年式のオートバイが良いと駄々をこね、更に秋田とオートバイを交換させてしまった。という事は、どういう状態になったか分かるね。昨日に限って、秋田は東馬のオートバイで新聞を配達したのだ」 最後の言葉を聞いて、助手は凍り付いてしまった。 そうだ、そうなのだ。 東馬のオートバイのカゴに血が溜まっていたせいで、新聞の一部に血が沁み込んだ。 一旦新聞を入れた秋田だったが、何かの拍子に血が付いているのに気付き、新聞をまたカゴに戻したのだ。 「問題のオートバイを調べてみると、汚れや傷を防ぐ目的でカゴに被せておくビニールが新品になっていた。ビニールに大きな穴が開いているからと、東馬が自分で取り換えたそうだ。実際はビニールに付いた血を、ただ拭き取っただけでは安心出来なかったのだと思うね。なお、朝刊が届いていないとの苦情は一件も無かったそうだ。予備の朝刊がどれだけ残っていたかは、既に業者が回収済みなのでもう分からない。ただ、大量に減っている様には見えなかったので、密かに持ち出したとしても少量だろうという事だ。余っている朝刊があったのにうちへ入れなかった理由は不明だが、ここは他と離れているから時間が無かったのかも知れない。通常の配達時間を大きく過ぎたので一旦は諦めたが、うちが何も言って来ないので、迷った挙句穴埋めしてみる気になったんだと思う。まぁ、犯罪研究所という名前が無ければ、そのまま放っておいたかもね。ここは一般家庭と違うので、出社が遅いと催促の電話が来なくても不思議ではないのだから。とにかくこれで、東馬と秋田が何らかの協力関係にあるという事が分かった。となると、君を尾行してアパートを突き止めたのは、秋田である可能性が高い。襲撃したのは東馬だろうがね。しかし、謎はまだある。秋田がどこで新聞に血が付いているが分かったのか、取り換えたとしたら何部か、または取り換え無かったのか等だ。だが、これらは当人に聞く以外は推測の域を出ないので深く考えないでおく。そもそも血は誰の物なのか、という謎に比べれば問題の内に入らないからね。ともかく一応は満足の行く情報を得たので、次に僕は盤場(ばんじょう)警部を訪れる事にした。警部とは旧知の仲だし、ある言葉を囁いたので全面的に協力してくれたよ」 「ある言葉?」 古辺の口調が印象的な響きを持っていたので、思わず新垣がそう漏らした。 「うむ。まず頼んだのは、新聞受けに付着した血痕の分析だね。次に、東馬と秋田の身辺調査だ。過去の素性や経済状態など、細かい部分まで知りたいと言った。そして、最後に決めの言葉を囁いたんだ。この新聞受けの血と、出崎町で起こった殺人事件の被害者の血液型が一致しないか調べて下さい、とね」 「殺人事件!」 再び新垣が発した声は、叫び声に近い物だった。 「そう、昨日の朝、君が何気なく僕に聞いたあの事件さ。東馬の配達する区域の中に出崎町が含まれていると知った時、別々の場所で起こった出来事が一本の線で繋がっていると閃いたんだ。そして分析の結果、二つの血液が同じであると判明した。更に凶器に使われたナイフも、刺創の形状が二件においてほぼ一致すると分かった。その直後、僕は深夜であるのも構わず、君へ避難せよとの連絡を入れた。既に二人殺害しているとなれば、どんな行動を起こすか分からないからね。秋田が東馬に協力していた理由に関しては、おおよその見当がつく。新聞に付いた血の事を東に尋ね、その時金品の提供でも持ち掛けられたのだろう。新聞店の社長によると、秋田はギャンブル好きでかなりの借金を抱えていたらしく…」 長らく続いた古辺の推理は、不意にそこで途絶えた。 「どうしました、所長」 虚空を見つめながら真剣に考え込む古辺を見て、助手が心配そうに声を掛けた。 「そうだ、出崎町の事件では金品類は一切盗まれていない。東馬が秋田の要望を叶える事など出来ないのだ」 古辺はそう呟くと、テーブルの上に置いてある新垣の携帯電話を掴み取って、手早く番号を打ち始めた。 彼はもどかしそうに相手が出るのを待っていたが、やがて相手と繋がったらしい。 「ああ、盤場警部ですか。僕です、古辺です。東馬と秋田の行方はまだ分かりませんか?成る程、そうですか。実は警部にお願いがありましてね。例の事件に関する事なんですが、今すぐに二人のアパートの近辺を捜索して欲しいのです。いや、それが急を要する事態でして。僕の考えに間違いが無ければ、どこかに秋田の死体があると思うのですよ」 |
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(03/09)
(11/17)
(09/15)
(08/07)
(06/24)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
hiden
性別:
非公開
職業:
自営業
趣味:
小説などの創作をする事
ブログ内検索
アクセス解析
|